会長の ”中欧を訪ねて”(海外旅行の勧め) 4

スロヴァキア

写真は首都ブラチスラヴァの旧市街である。ヨーロッパの古い街は何故か美しい。思うに、色彩センスがいい。もう一つは、道が狭く入り組んでいるため曲線美がある。
この写真も、パステルグリーンのパラソルが調和している。
“美しいよなぁ。。。”
“こんな風景は日本には無い、できない。”
一緒に行ったメンバーが口癖のように話していた。


 この町には、もう一つ特徴がある。いたるところにモニュメントがあり、人々を和やかにしてくれるのだ。写真の左下は、通称「マンホールマン」と呼ばれる一番の人気者。他にも、ナポレオンやピエロ風の“変なオジサン”、中には椅子に腰かけている二人連れの人形まであった。
 今の日本に このような“者?”を作ったら、壊されるか盗まれるだろう。
ユニークさ満載のブラチスラヴァだが、私はマンホールマンを写真撮影するツアー客もユニークだと思うが。。。


 写真は、高速道路の休憩所にあったコーヒー豆。恐らく地元の人が買うのだろうが、土産として中央の2つを衝動買いした。価格は共に750円。妻が、すかさず
“そんなもん、美味い訳ないでしょう。もっと考えて買いなさいよ。”

と言われ、痛いところを突かれた私は自嘲するしかなかったが、、、、帰国後に飲んでみると実に美味い。日本には見当たらない味(何とも言えない苦味とコク)に、夫婦して驚くほかなかった。アイスコーヒーにすると、また美味い!

 スロヴァキアに行く人があったら、買ってきてください。


続く


プラス1 スロヴァキアの歴史
 スロヴァキアと聞くと、我々の年代はチェコスロヴァキアというイメージが強い。実際に1918年〜1993年まではチェコとの連合国家だった。それがソ連(ロシア)の崩壊で多くの東欧諸国がロシア離れ
し、独自の路線(多くは西側ヨーロッパに同調)を歩み始めた。この動きの中で1993年1月1日、チョコとの連邦は解消され、独立スロヴァキア共和国が誕生した。幸いにも、紛争ではなく平和的な解消である。(ビロード革命、ビロード離婚とも言う)。そもそも工業中心のチェコ(ボヘミナ地域)に対し、スロヴァキアは農業中心である(モラヴァ地域)。どちらも人種はスラブ系で、言語もほとんど同じ。「一卵性双生児の兄弟民族」とまで言われるが、独立した経緯は、

1) 西側に追いつきたいチェコとしては、後進地域のスロヴァキアはお荷物。
2) 一方のスロヴァキアは、独立国家を望む声など政治が不安定。

お互いに“別れたい”と思ったからスムーズに運んだのだが、長い歴史を紐解けば、スロヴァキア908年から1,000年間はハンガリーに支配されていた。同じ民族なのに、住む所が違ったばかりに他国の侵入を受け別々の道を歩んだ。


(写真 上にある尖った建物が、10世紀創建のヴラチスラヴァ城で一番の観光スポット。ドナウ川を見下ろす眺めが素晴らかった。)

 スロヴァキア人口540万人、面積 日本の1/8。 2004年念願のEU加盟を果たした。