会長の ”中欧を訪ねて”(海外旅行の勧め) 3

ハンガリー  後編

 夫婦で旅行する機会が多いが、私は冒険派、妻は堅実派である。

自由時間に何をするかで頻繁に喧嘩となる。車で言えば、アクセルを踏めば妻がいつもブレーキを掛ける。(旅行に限らず夫婦生活もそうだが。)

 さて、ブダペストの話が、自由時間を使って前回紹介の『ゲッレールトの丘』へ行こうとツアーガイドに尋ねると、
“タクシーが最適ですが、、、本当に行きたいならホテルのフロントに掛け合います。”

との回答。ガイドも、初日からトラブルを発生させたくない様子。妻の顔をみると、部屋でゆっくりする気満々である。私が、
“はい、行きます。お願いします。”

2人とも、空いた口がふさがらない。
それでも強引に行ってみると、美しい景色にさすがの妻も文句が言えない様子だった。
 
しかし、上手くいかないことも多々ある。いい加減な私は、道をよく間違える。


 
『ゲッレールトの丘』の後、街の目抜き通りアンドラーシ通りを“クサリ橋”から歩くことにした。ここはブランド店も建ち並び、とても美しい。ホテルまで歩いて帰れない距離ではないが、ヨーロッパで2番目にできたと言う地下鉄に乗ろうと決めていた。しかし妻は歩いて帰ろうと言った。どうやら、間違った路線に乗ると遠くに行って帰れなくなるのが嫌だったようだ。
 結局、私が折れておよそ1時間の道のりを歩いた。かなり疲れた。しかし、疲れたと言うと喧嘩になる。私が言えば、
(妻)あんたが、行きたいと言ったらでしょう。
となり、妻が言えば
(私) だから地下鉄に乗れば良かったんだ。
となる。
お互い初日から喧嘩するのは大人げないので、静かにホテルまで歩いた。
(写真は、ブダペストに旧市街。アンドラーシ通りも世界遺産となっている。)


異国旅行の1つの楽しみが、日常品の値段を調べること。写真は、小さなスーパーで売っていた野菜である。ネギが112円/100g、同じく人参は80円である。
 見たことがないものに遭遇すると、想像するのが楽しい。
英語圏なら
What is this?

だが、残念ながらハンガリー語なので?

結局、ここではアイスクリームを買ったが、日本と比べ甘過ぎる。かって、アメリカに赴任中ケーキを食べたが、やはり甘過ぎた。これがケーキの味?と聞いた時、彼らは逆に日本のケーキは甘くなくてケーキじゃないと答えた。これにはビックリしたが、どうやらハンガリーアメリカと同じくらい甘い味覚が好みのようだ。
うーん。味覚は違うなと思った。

初日のハンガリーは徹夜状態で、おまけに沢山歩いたので時差ボケは全くなくグッスリ眠れた。

続く。


プラス1 バルカン半島

今回のネタ“中欧”には、 バルカン半島の国々、ギリシャを始めクロアチアルーマニア・トルコ(イスタンブール側)など、10か国以上の小国も含まれる。独立した国家が存在する背景には、隣国とは相容れない事情があるからだ。民族・宗教・言語の違いが主要因である。
(写真は、クロアチア:ドブロニスク旧市街)

バルカン半島の主民族であるスラヴ人は、7世紀ころから移住した。《因みに1991年に解体したユーゴスラヴィアとは、“南スラヴ人の土地”の意味。》
その後、多くの国(大国)が、バルカンを奪おうと画策し、国盗り物語の宝庫となった。当然、背景には
「奪うに値する魅力がある。」

例えば、シルクロードを利用してアジアの奢侈品(ぜいたく)が流れてくる(イスタンブール)。
ドナウ川が国を跨いで流れており、交易の要所が多い(ベオグラード)。近世では、ロシアが不凍港を求めて南下する。ドイツがベルリンからイスタンブールまで鉄道の敷設を狙う、などなど。各国の利害がぶつかる場所なのだ。ここを支配すれば国が栄える。因みに、ビザンツ帝国(東ローマ帝国は)は1000年、その後のオスマン帝国は500年の長きに渡りイスタンブールを堅守した。強い国であった(経済力・軍事力・政治力・・)。共に首都はイスタンブール。
(写真は、ボスボラス海峡越しに見るイスタンブール市街)


第1次世界大戦が勃発したのもバルカンである。発端は、セルビアとオーストリアの利権争いだが、これにドイツ・ハンガリー・オスマン帝国と、対するイギリス・フランス・ロシアなどが加わり4年以上も続いた。いつの間にかドイツ・フランスが戦場になり、1,000万人以上が犠牲となる世界戦争となってしまった。まさか、こんなことになるなんて。。。何処の国も予想しなかったと思う。戦争が終わると、ヨーロッパの力は低下し、アメリカが世界の主導権を握った。

残念ながら、現在もコソヴォ紛争(セルビア南部)は未解決のままである。民族・宗教が絡んでいると、利害関係よりも奥が深い気がする。
因みにバルカンとは、トルコ語で“樹木におおわれた山”の意。