2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧

会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 14

宮古 3 〜宮古市田老町は、「津波太郎(田老)」の呼び名がつくほど津波被害が多かった歴史があり、世界最強の防波堤を作り“防災の町”と言われていた。しかし、写真の如く頼みの堤防が破壊され町の殆どが瓦礫となった。家を失った人々の多くは、前回紹介した…

OB通信 A18 IWATA

今回は「三門」バス停に向かって歩く途中、遠目にも綺麗なライトアップを目にし 吸い寄せられるように寄り道。境内から漏れ聞こえるオカリナを聴きつつ ぼーっと眺めていると寒さをわすれます。「走り初め」迄約一か月!走行可能距離2800Mになりました。

会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 13

宮古 2バス停 仮設住宅前(グリーンピア三陸宮古) 〜震災から2年半が経つと、人々の暮らしは良くも悪くも安定してくる。路前バスの停留所も文字どうり“仮設住宅前”となっている。この名前が一番便利かもしれないが、やり切れない気持ちになった。〜 浄土ヶ浜の遊…

悲しいお知らせ

OB会初代会長の杉浦久夫先輩(E1)が11月10日にご逝去されていました。 葬儀は御本人の遺言で家族葬で行われたそうです。 杉浦先輩は学生時代は長距離が専門でした。須賀杯駅伝で優勝した時(1967年)のメンバーです。1968年に卒業、住友軽金属に就職さ…

会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 12

宮古 1 〜宮古の景勝地“浄土ヶ浜(じょうどがはま)”。この辺りはリアス海岸のお蔭で多くの景勝地があり、震災後『三陸復興国立公園』と名前を変えた。この写真は、船に乗って海から浄土ヶ浜を眺めたもの。〜 さて、大槌町から1時間北上し宮古に向かったわけ…

会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 11

大槌町〜写真は津波直後の大槌小学校付近。流されてきた家屋の一部や多数の車がグランドに散乱している。現在は、改築されて役場・消防署などが入る合同公舎の機能となっている。そして、小学校は閉校となり生徒はスクールバスで遠方の小学校に通っていると…

OB通信 A18 IWATA

今回は、昨晩の18回生(S60卒)同年会 3月の「小栗先生を偲ぶ会」で 出欠連絡をとった際、話が出て 集まる運びとなりました。走り初めで会っている人もいれば 卒業以来28年ぶりの人もいます。見た目おっさんになり、近くのモノを見にくくなりましたが 皆さん…

会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 10

釜石次に向かうは“釜石” 新日鉄釜石がある“鉄の街”であり、大船渡と並ぶ岩手県の漁港でもある。また、私が若い頃はラグビーが強くて有名だった。 1時間程のドライブだったが、到着するまでに色々なものを見た。 写真は仮設住宅ではなく“仮設コンビニ”である…

会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 9

大船渡 2 朝5時15分に目覚ましを掛けたが、疲れたせいか目が覚めない。 ”頑張って起きろ、大船渡の魚市場を見学するんだ” 誰かが、そう言った気がした。 “しょうがないな。行ってみるか。”6時から始まるというセリには多くの仲買人がいる。いろいろな魚が箱…

会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 8

大船渡 1 〜写真は津波に呑まれる大船渡プラザホテル。この日を境に休業に追い込まれたが、2011年12月5日より営業を再開した。大船渡の玄関口でもあっただけに復興のシンボルとなっている。〜 この日は気仙沼・陸前高田を訪問したが、かなり疲れた。けっこう…