会長の ”中欧を訪ねて”(海外旅行の勧め) 10

ユダヤ人  (大雑把な説明ですが。。。)
前回のアウシュヴィッツ、さらに最近のニュース“パレスチナ”もユダヤ人に関係している。そもそもユダヤ人とはユダヤ教の信仰者、または親がユダヤ人と定義されている。


ユダヤ教の経典は旧約聖書であり、この中に
「神が救世主(メシア)を地上にお遣わしになる。」

という言葉があり、これがイエスというのがキリスト教新約聖書)。まだ登場してないというのがユダヤ教。ムハンマド(マホメット)が最後の救世主とするのがイスラム教(コーラン)である。 3つの宗教とも自分達が一番だと思っているからトラブルは当然おこる。宗教が歴史を変えたことは枚挙にイトマがない。
 写真は、クラクフ近郊のカジミエシュ地区にあるユダヤ教会スタラ・シナゴーグを社会見学する小学生。カジミエシュ3世の時に町として設立された(1335年)。

 

さて、ユダヤ人が多くの迫害を受けた理由として、
1) 国が持てずに世界に散らばったにも関わらず、宗教観なのか他と交わらなかった。
2) 結局、人が嫌がる“商人”や“金貸し業”で生計を立てるしかなかったが、これが富をもたらした。(頭が良い人も多いようだ。例えばアインシュタイン・チャップリン・マルクス。。。)。
3) このため飢饉や不況になったりすると“金貸し”や“酒屋”を襲って物品を奪うなどの暴動を起こすが、この対象となるのはユダヤ人であった。日本における室町時代徳政一揆、江戸時代の“打ちこわし”と同じ。
4) ドイツ・ポーランドには反ユダヤ主義暴動があり、特に“水晶の夜(クリスタル・ナハト)事件1938年”以降、ユダヤ人の立場が悪化しヒトラーの虐殺に繋がっていく。〜ホロコースト(“全焼のいけにえ”の意味)〜

 人道的にユダヤ人を救った人もいる。杉原千畝さんもその一人である。彼はリトアニア領事館勤務の時、良心に従って8,000人のユダヤ人に日本行きビザを発行し命を救った。調べてみると、名古屋市平和小学校→瑞陵高校早稲田大学だと分かった。岐阜に記念館があるので一度行ったみたい。

                                         続く



プラス1 パレスチナ問題
 中東と聞くと石油とかイスラム教を連想するが、パレスチナに関しては事情が違う。長い歴史を引きずっていて簡単には解決しそうもない。よく言われる言葉だが、
「イギリスが悪い!」


事情は以下である。
1) 第1次世界大戦でオスマン帝国(トルコ),ドイツ。。。と戦っていたイギリスは、ユダア人・アラブ人と取引をした。そもそもこの矛盾した取引が発端である。
2) ユダヤ人に対しては、資金援助と引換えにパレスチナに国家の建設を認めた。世界中でイジメられていたユダヤ人は、この話に乗った。(1917年 バルフォア宣言)
3) アラブ人に対してはトルコへの反乱を要請し、勝利したあかつきはトルコにあったアラブ地域の独立と、アラブ人のパレスチナでの居住を認めた。(1915年 フサイン・マクマホン協定)

 勝利したイギリスは、パレスチナを統治しユダヤ人の入植を認めた。当初は少なかったので問題なかったが、ナチスによる虐殺・世界恐慌の危機からユダヤ人が大挙して移住し始めた。パレスチナは四国くらいの広さしかなく、原住民との摩擦が生じ始めた。
4) イギリスは対立を収めるために「パレスチナ分割案」を出したが、双方から拒否され責任を放棄した(1938年)。
5) 国際連合が「「パレスチナ分割案」を指示し、これに従ってユダヤ人は「イスラエル共和国」の独立を宣言した(1948年)。

国際連合の発表ではあるが、どうみても肥沃な地域をユダヤ人に荒地をアラブ人に分割した。これに対しアラブ近隣諸国は、イスラエルとの戦争に突入した。対象となる地域は、ガザ地区ヨルダン川西地区、ゴラン高原など。。。


〜地図の柿色がイスラエル 首都はキリスト教の聖地エルサレム。白色がパレスチナ暫定自治区 ニュースのガザ地区(中央左)もある〜

大きな戦争だけでも4回あった。毎回 市民が犠牲になる。
パレスチナ問題。難しいなぁ。。
 (イスラエル 人口 800万人 首都はエルサレム
写真はイスラエル国旗