会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 3

陸前高田 1

〜写真は奇跡の一本松・・・震災前は“高田松原”という名勝地で7万本の松があった。現在残ったこの一本松も再生が難しく人工保存される。写真下の人が見上げている程に高い。〜

 気仙沼を後にして、次の目的地 陸前高田を目指して国道45線を北上すると至るところに津波浸水区間“ここから”・“ここまで”という標識がある。この辺は、定型的なリアス式海岸であるため、津波も地形に沿って押し寄せてきたのだろう。
“こんなに高いところまで?”
と驚く反面
“ここが生死を分けた境界線か”
複雑な気分であった。

 

車を走らせること1時間、突然 地形が開けてきた。見ると、津波の犠牲となった建物の残骸と、沢山のダンプカー・クレーン車。“壊す仕事”と“建てる仕事”が同時に行われているようだ。活気があるといえばある。
さらに進むと、一本の木らしくものが見えてきた。
“そうか、ここが陸前高田か。あれが奇跡の一本松か!”


テレビでみる印象とは違い道路から遠くにあった。車では行けないため専用駐車場がある。その隅には写真のような簡易土産店もあった。

“人の不幸を見学する方(私)も節操がないかも知れんが、ちょっとね。。。”

 駐車場から歩くこと10分、やっと奇跡の一本松に到着した。聞けば、3人に1人はここに来て涙を流すと言われているが実際その通りだった。すれ違う人がハンカチ・タオルを片手に持っていた。

涙もろい私も自然と涙が出た訳である。悲しいからではなく同情した訳でもない。強いていえば、
“一本松よ、よくぞ頑張って耐えた。お前は偉い!”


 実は、景色を眺めて涙を流したことはアメリカ赴任中に何度も経験した。例えば、グランドキャニオンやモミュメントバレーを見た時がそれである。
 “世の中には、こんなに素晴らしい景色があるんだ。”

こういう経験を陸前高田で味わうことができて幸せである。

さて、奇跡の一本松の奥(海側)はユースホステルである。写真のように頑丈なコンクリート建物が無残に破壊されている。なぜ無防備な無力の松が生き残って。。 

津波が全て通り過ぎたからと言われているが、7万本の松の1本だけが。。。
不思議なものである。

続く