会長の ”東北震災地を訪ねて” 津波の爪跡 2
気仙沼 2
〜写真は津波で港から陸地へ750m流された大型漁船「第18共徳丸」。
観光用に残しては。。。との要望もあったが、地元から「あの記憶がいつまでも残るのは辛い」との声が多く、9月19日をもって解体されることになった。最後の雄姿をみることができたのは幸運かも知れない。〜
さて気仙沼港を歩いてみると、海面と桟橋との高低差は1m程しかない。漁業をやるには便利かもしれないが、これでは10mの津波が来たら街はひとたまりもなく呑み込まれる。
屋台村を後にして車を走らせること5分、見えてきました“大型漁船「第18共徳丸」” 全長60m
“いやーデカいな。これが港から750mも流されてきた船か。”
“凄い。これぞ津波の爪跡だ。”
船の周りは更地になった広場に雑草が生えている。コクリートの基礎部分が見えるのは、この上に家屋があったに違いない。新聞や雑誌で見てはいたが、目の前にある現実にビックリした。ちょっと紹介するのをためらったが、この左記写真は津波直後の共徳丸である。お祈りともお礼とも見える家族の写真が私の胸を打ったので掲載する。
(現実を見たせいか、こうして書いていても泣ける)
2年半もすると、もう何もない更地になり新しいものが始まっていく。ここに住んでいた人は今でも仮設住宅に住んでいるのだろうか。それとも、気仙沼に帰ってきたのだろうか。。。
旅行気分というか、いい加減な気分が吹き飛んでしまった。
船の隣(鹿折地区)に“復幸マルシェ”という仮設商店街があった。ここは食堂に加え電気工事・花屋などがある。この建物の狙いは
今、鹿折で暮らす人たちのために
いつか鹿折に戻りたい人たちのために
鹿折に来てくれたボランティアや観光の方々のために
これまで、そしてこれからも鹿折と関わり続けてくれる方々へ。
様々な人が集まるコミュニティスペースにしたい
http://www.shishiori-marche.jp/
との想いという。
誰が植えたか知らないが、船の周りにヒマワリが咲いていた。被災地には、ここに限らずヒマワリが咲いている。そして、よく似合う。
花はいい。
続く