会長の ”東北震災地を訪ねて(後編)”   震源地 宮城1

 図は、東日本大震災震源地(×)と震度分布である。オレンジ色が震度6強で、岩手・宮城・福島など広範囲に広がっているが、最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7らしい。
 栗原市は、東北新幹線が通る内陸部であるが、幸いなことに死者はゼロだった。以前にも書いたが、死者の90%は水死、すなわち津波による被害なのだ。
 



 岩手・福島と見学して、概ね被害状況をこの目で見たが、いよいよ震源地に最も近い宮城県へ足を踏み入れることとした。宮城といえば、地震直後の津波が押し寄せる生生しい光景が映し出された場所である。仙台空港の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3 - 4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。
(写真は仙台空港:右へ押寄せる津波)

 
 コース設定を依頼したのは、前回と同じく宮城県庁 Mさんである。地元情報をもとに旅程を組んでくれるのは、本当にありがたい。限られた時間における見所・食べ処である。
“持つべきは知人・友人”

人生 どこで何の助けを受けるか、または与えるか分からない。
と言う訳で、Mさんがお奨め通りに震源地 宮城を訪ねることにした。


仙台空港
 “仙台空港周辺には何もない”と聞いていたが、イメージとは違った。
“けっこう、色々なものが揃っているじゃないか。“


“何もない”とは、以前見た岩手県陸前高田大槌町を想像していたので、ちょっと安心したというか拍子抜けした。
(写真は空港周辺の道路。津波は4.05mと表示)

空港内も活気があった。建物は新しく、土産も食事場所も沢山ある。恐らく震災前と変らないのではないか。
 仙台空港は東北、いや震災の玄関だから、優先順位を上げて復興に取組む必要があったのかもしれない。因みに、仙台市の人口は104.7万人を擁する政令指定都市だが、海岸から離れた場所にあった。もし仙台が破壊されていたら、もっと復興に時間が掛かったに違いない。


 ところで、宮城の御菓子と言えば“萩の月”である。これは、牛タンと並び、仙台土産の定番になっている。北海道の白い恋人、福岡県の辛子明太子に次いで、宮城県萩の月が全国3位になったこともある。
 食べてみたが、ふんわりとした食感は老舗の味と言った感じを受ける。加えてボリュームがある。

さて、Mさんからは仙台空港の近くの“千年希望の丘”で、360度の景色を見て欲しいと言われた。そこは、先進的な復興モデル実現の場であり、市民一人ひとりの思いや祈り、数々の教訓を千年後の子供たちに残すための歴史的なプロジェクトらしい。

 さぞかし。。と思って行ってみたが、正直“何じゃこれ。。”という感じである。
きっと、当時を知る住民には感慨深いものがあるかもしれないが、私のような外部の人間には伝わってこない。
(写真の中央にある石碑に“千年先まで伝えたい”と書いてあった。)

 
 予定では、昼食を仙台市内で「牛タン」を食べるはずだったが、前述した福島のナビトラブルで時間超過となり、やむなく、ローソンの100円おにぎりを食べながら運転するという羽目になってしまった。(余談だが、“100円おにぎり”が結構美味かった。)

そして、時を欲しむように次の目的地 大曲浜へと向かった。


                                        続く


プラス1
今日(3月11日)で震災から丸3年。メディアも、色々な角度から報道している。住民の声に、
”現状は厳しいなぁ”

と思う。まして、自分の目で確認した私としては、
”そうかもしれない”
と思ってしまう。

私ができることは、土産品を購入する・紹介するくらいかもしれないが、経済的に少しでも潤って欲しいと思う。