会長の ”東北震災地を訪ねて(後編)”   震源地 宮城3

石巻


写真は、石巻市南浜町にそびえ立つ2本の松。この辺りは海岸に近いため、一面更地となってしまったが、以前紹介した陸前高田“奇跡の一本松”同様、巨大津波にも倒れずに残った。松の傍には地蔵様が祀ってあり、花が活けてある。日本人の姿がここにもある。しかし、この松は死んでいるらしい。恐らく、この原稿を書いている今は、もう撤去されているかもしれない。
 “無念の松”

私が勝ってに命名した。
今さらながら泣ける一枚である。




さて上述の“無念の松”付近は、ドライブしていても、更地か建設中の建物だった。しかし、幸いなことに石巻の中心部(駅・役所・・)は陸地にあり、被害が少なかった。JR石巻駅は、昔ながらの風情ある建物がそのまま残っていたし、繁華街もダメージが少ない印象を受けた。(写真はJR石巻駅

Mさんからは、石巻に行くなら日和山公園(ひよりやま)へ行き、震災の状況を見て欲しいと言われた。到着してみると、休日のためか駐車場が満車であった。どうやら私と同じで、ここから震災状況が見渡すのが目的らしい。バスガイドが、
“昔は。。。。しかし震災後は。。。”

と語っていた。これには驚いた。“観光地”になっている。市の方針なのか、旅行業者の営業なのかは分からないが、公知のPR活動かもしれない。(写真は“無念の松”の隣にある休憩所“とまりの駅”)

“人が自分の目で見てくれて、理解してくれて、土産・宿泊でお金を落としてくれることも重要”
そんな気持ちにさせた。


さて、写真が公園から見た風景である。
“よくもまぁ、これだけ酷くやられたものだ。何もない。”


あるのは右上の“無念の松”と、手前にある新築の“お墓”
3000名強が犠牲となった石巻市だが、亡くなった人・御先祖様の供養としてお墓を作ったのだろう。
日本人だな。


 ここ日和山(56m)は、昔から桜の名所として有名で、松尾芭蕉も“奥の細道”の道中として訪れたらしい。震災直後は、津波から逃げるため多くの人が登り命を助けた。

今年も、間もなく桜が咲く。震災とは関係なく、美しく咲く。


     続く