会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 4

陸前高田 2
 〜写真は津波で呑込まれる高田市役所。4階建ての3階付近まで水が来ている。建物中央の屋上には黒い人影がいるのが分かる。ここまで逃げた人は助かった。まさしく生死の境目。〜

奇跡の一本松から次に向かったのは市役所である。ここはFさんから
津波で職員の1/3(113名)が犠牲になり仮宿舎で仕事をしている。元気に働く姿を見て欲しい。”

と言われた訳だが、土地勘がない私は何処にあるのか見当がつかない。ナビで市役所を入れ向かってみると、何もない更地だった。
“そうか、市役所は取壊してしまったのか。”

一般的に役所は街の中心部の静かな場所にある。ナビ上では、近くにJRの駅やホテルなどがあることになっているが。。。
“何もない” “線路も全く見当たらない。”
全て流されたか壊されたかである。 (写真は陸前高田の市街地付近)


何もない中で、これ以上探しても仕方ないから近くにいる作業者に聞いた。

“市役所は丘の上にあります。あの広い道を登ってください。”

広い道と言っても簡単である。道路は数本しかない。
“あの道を。。。”
手で示してくれるほどに“見晴しが良い”訳です。

仮設の市役所は小高い丘の上にあった。2階建でのプレハブ棟がいくつもあり、中に入ると他の役所と変わらない風景に何となくホッとした。
 Fさんから“写真撮影は問題ないよ”と言われていたが、さすがに一生懸命働く職員にカメラを向けるのは気が引けたので、了解を得てからシャターを切った。
(写真は、全国各地から届いた復興祈願の千羽鶴

 さて、岩手県の土産として“木村屋のバウム”を推薦されたのだが、やはり何処にあるか分からず、調べることもできないまま諦めていた所、たまたま車を停めた駐車場の目の前が店舗だった。
“こんなこともあるんだ。”
(写真の1F左が木村屋)
http://okashitsukasa-kimuraya.com/
ここも津波で店が流出したが、1年後(2014.5.3)に仮設店舗として営業を再開している。
 
店の中に入ると活気で溢れていた。奇跡の一本松をイメージした“夢の樹バウム”が美味いと聞いていたので試食したが、あまりの美味さに厚かましく沢山食べた。(本当は腹も減っていた。)
“まさか”の出会いである。今回の震災地訪問では、この“まさか”が結構あった。(もちろん失敗もあったが。。)

木村屋のHPを見ると、復興するきっかけは
“多くのお客様の声に助けられて”

というのがある。人は助け合い・励まし合って生きていくのが理想のようだ。


余談になるが、2009年元旦走り初めの挨拶で同じようなことを言った。
(人の言葉の受け売りですが。。)
 “日本は底無し沼に入った状態である。もがけば、もがくほど沈んでいく。ただし、いつかは必ず脱出できると信じて隣にいる人と声を掛け合えば、やり切れると思う。”



あの時はリーマンショックが日本を襲い、トヨタでさえ創立以来の赤字だった。陸前高田は“命”まで取られているので、その辛さは計り知れないが、頑張る道の1つかも知れない。


  次に向かうは“陸前高田第1中学校” ここには震災直後の避難所として、また初めて仮設住宅が出来た場所でもある。訪問は勇気のいることではあったが、この後 尋ねることになる。
(写真は震災直後の高田第1中学校体育館風景)
続く