会長の ”東北震災地を訪ねて(後編)”   震源地 宮城 5 (終了)

閖上地区(名取市

 この写真は、閖上(ゆりあげ)地区を襲う津波の写真である。真っ黒な波は、津波というよりも嵐の外海の中を船上から撮影した気分にさせる。
 津波で壊滅した閖上は、かつて活気に満ちた漁港を中心に、ほとんど更地と化してしまった。名取市の犠牲者数は1,000人を超え、そのほとんどが閖上地区に集中している。
 犠牲になった主因は他地域と同様に、“まさかここまで津波は来ない”との思い込みによる避難の遅れであるが、ここ閖上にはもう一つの要因、
“車での避難者が大渋滞に巻き込まれて、身動きが取れないまま多数の人命が失われた”
ことが挙げられる。悲しい話である。


 さて、急ぎ早に震災地をドライブしてきたが、既に夕方。これ以上行くと、飛行機に乗れないリスクが生じる。Mさんからは、時間があったら“閖上さいかい市場”を見学してほしい。と言われていた。
 “ちょっと厳しいかな?”

そんな気持ちでナビセットすると、何と空港まで6キロ足らずと近い。時間にして20分。
これなら何とかなるかもしれない。Mさんには、随分世話になったし
“時間ギリギリまで頑張ろう”

ということで、出発時間の1時間前(18時30分)をタイムリミットとして、早速“閖上さいかい市場”に向かった。脇目も振らず制限時速100キロ(という事にしておく)。

地図の上では近くなってくるが、辺りは普通の住宅街。しかも被害を受けた形跡は見当たらない。
“さいかい”と名の付く以上、こんな街の中にある訳ない”

暫く探したが見当たらない。仕方なく、歩いている住民に聞いた。
(私)  閖上さいかい市場は何処にありますか
(住民) それなら。。。
(私)  ここから、どれくらいかかりますか。
(住民) うーん。10分くらい。

教わるままに車を走らせると、どんどん繁華街に向かっている。
“おかしいなぁ。本当にあるのか。”

やがてイオンモールが見えた。土曜日の夕方なので人で溢れていた。外食屋も洋服も本屋も。。。これは違う。と思った瞬間に、それらしい看板が見えた。
“あれだ。”

広い整備された道を引き返し、やっと見つけた。(写真)
“復興仮設商店街”から、更地の真ん中か復興中の建物をイメージしていたので、かなり違和感がある。このロケーションでは、商店街に足を運ばず近くのイオンに行ってしまう。

“いっそのこと、期限付きでも良いので岩手の大槌町あたりに出店してくれると。。。”

 本当は、ゆっくり海の幸でも買い物したかったが、証拠写真を撮っただけで空港を目指した。
いよいよ時間が迫ってきた。急がないと。
そう思ってスタートした矢先。何やら仮設住宅らしく建物が見えた。
“こんなところに。。。”

ここなら、日常品を買う店も徒歩圏内である。閖上さいかい市場まで歩いて行ける。
“便利だ。”

暗くなりかけた閖上地区を後にして空港を目指した。仮設住宅の南側に川があり、対岸は被害の酷い地区のようだ。更地が多い。灯りの数が少なく暗い。復興しているのは一部に過ぎないのかもしれない。いや違う。市全体からみると、被害にあった地域は少ないが、その地区の復旧が進んでないのかもしれない。
繁華街(日常の風景)と被害地区のギャップにびっくりした。


空港は混雑していた。人は震災復興の足しにでもと思い、より多くの土産を買っているように思えた。やはり、現地に来てみると、そう言う気になる。

 今日は原発の福島と震源地の宮城を見学した。異なる風景を一日で見学したので、ちょっと頭の中が混乱していた。家族・家を失った被害・原発で家に帰れない被害・風評で物が売れない被害・・、色々な被害を見た。

“大変だな。運命と言えばそれまでだけど。。。神様もちょっと不公平だな。”いろんな感情が頭をよぎった。

 来てよかった。この目で見てよかった。そう思いながら仙台空港を後にした。

                                         終わり


プラス1 Mさんとの会話(続き)

 前回に続き、Mさんとの会話の中で、もう1つある。

『同じ宮城県でも内陸部は被害が少ないので、3年も経つと過去の出来事となってしまい、県として何かをやろうとしても温度差が出てきた。』

 そうかもしれない。
仮設住宅には、まだ10万人の人が暮らしているし、原発付近では農業・漁業はできず、自宅に帰れない人も沢山いるが、一方で我々と同じで被害が殆どなかった住民は、時が経つに従って他人事に思えてくるのも自然かもしれない。

先日で、丸3年となった。
“3年か。。。。”
人は皆振返り関心を持った。“3”という数字はマジックナンバーと言って、脳裏に残るらしい。確かに昨年より各地でイベントがあった。これで一区切りと言った感もある。もちろん復興は続いている。これからは余程声を大にして言わないと届かない

勿論できることも沢山ある。名古屋にも東北物産が売っている。それを食べて、“美味い・不味い”を言う。現地に行って実態を確かめる。東北の人と話してみる。身近な1つ1つをやっていくことだと思う。
これくらいなら、私でもできそうな気がする。



*これで、昨年9月より連載してき“東北震災地を訪ねて”を終了します。昨年末の予定が、ついつい書き足してしまい春が来てしまった。

ちょっと休憩?して、新ネタを紹介したいと思います。