会長の ”東北震災地を訪ねて”   津波の爪跡 12

宮古 1

宮古景勝地浄土ヶ浜(じょうどがはま)”。この辺りはリアス海岸のお蔭で多くの景勝地があり、震災後『三陸復興国立公園』と名前を変えた。この写真は、船に乗って海から浄土ヶ浜を眺めたもの。〜

さて、大槌町から1時間北上し宮古に向かったわけだが、自動車専用道路(通称:復興道路)が部分的に開通していたため、“ほどほど”走ることができた。途中、かなり被災された街を見た。
陸中山田”である。

 残念ながら立寄ることはできなかったが、大槌町と同様 “町”なので復興には時間がかかるかも知れない。
(写真は震災直後のJR駅)


“地域としての体力”
具体的には“仕事”であり、それを生み出すのは人口そして企業である。

以前、阪神大震災(1995年1月17日死者6500人)の時、ある企業がまだ心の傷が癒
無い中で工場を再開したことがある。メディアから、
“血も涙もないのか”とか“そんなに金が欲しいか”と言われたが、住民からは、
“仕事は明日の活力になる。有難い”
との反応があった。人間(いや日本人かな?)は仕事をすることが第一のようだ。
これが復興かもしれない。


さて、宮古では有名な景勝地浄土ヶ浜”を海から眺めることにした。震災による津波で、遊覧船3艘中、停泊2艘が喪失。残る一隻は遊覧中であり沖に向かって避難して無事だった。この1艘が7月16日に営業を再開している。キャッチフレーズは
津波に負けない自然の景観をご覧いただけます。”

1時間の遊覧で、尖った白い流紋岩ローソク岩)・肌に立つ松・そして静かな海が見えた。(写真は遊覧船から眺める名勝“ローソク岩”)
最初は爪痕を予想して乗船したが、震災前と変らない風景が広がっており、安心したというか気が抜けてしまった。
“ま いっか。良いことだし。。。。”

ちょっと残念だったのは、1時間を船に充てるか“海鮮丼”を食べるか迷った挙句の選択だったため、ここでも“美味いモノ”は辞退することになり、コンビニの“おにぎり2個”を運転しながら食べる羽目になったことである。
 “何が、それ程までに私を掻き立てるだろう?”

自問自答しながら、仮設住宅グリーンピアのある田老町(たろう)に向かった。

続く


プラス1  国会議事堂のラーメン
 先日 東京に行った折、国会議事堂地下の議員食堂でラーメンを食べた。写真がその塩ラーメンである。安倍総理を始め議員さんが食べるのだから、さぞかし。。。とサプライズを期待していたが、価格も味も“普通”だった。 これなら丸源・一刻堂。。。の方が美味い。


実は小学校の同級生が国会議員をやっており、“近くに来たら寄ってくれ”と言われての修学旅行以来の国会見学だった。ビーフシチューが美味いと雑誌に掲載されていたが、まずはラーメン。次回は是非ビーフシチューを食べてみたい。