会長の”次男の大学受験”                                                              第1章  全ては”まさか”から始まった。 7      

河合塾 2  “力のある人から、力の出せる人へ”


 さて河合塾に行かせたまでは良かったが、成績は一向に上がらなかった。次男のスタイルは
ただ塾に通っているだけ。”  予習も復習もせず、当日の勉強内容のみ聞くというパターンであった。やる気が全く感じられないが、“決して休まない” 皆勤賞だけが取り柄だった。

ある時、聞いたことがある。


(私)  「お前 勉強してない割には休まず行くな。」
(次男) 「休む勇気が無いだけ。ただ、それだけだ。」

喜んで良いのか悲しんで良いのか、複雑な気持ちであった。1年生が終わる頃、
(私)  「塾の授業はどうだ。分かるか」
(次男) 「別に。。。」
(私)  「別には無いだろう。何か言ってみろ」
(次男) 「。。。。数学は塾に行かなくても学校の授業だけで十分だ。ただ、英語の授業は良く分かる。」
(私)  「へぇー、そうなんだ。」
(次男) 「学校の先生は“イメージ”で訳す教え方だが、笠井先生(河合塾)は英単語1づつの意味を教えてくれる。これは良く分かる。」
     “全ての単語には、全ての意味と役割がある”と、いつも教えてくれる。

(私)  「そうか。良い先生に出会ったな。」
(次男) 「本当に良かった。来年も笠井先生だったらいいけど。。。」
(私)  「。。。。、その割には英語の成績は一向に良くなってないじゃないか。」
(次男) 「それと、これとは別だ。俺は単語を暗記するのは嫌いだ。」
(私)  「お前なぁ。。。」
       ・・・・    写真は次男が通った河合塾 刈谷
 てっきり、英語は2年生から止めたいと言い出すかと予想していたが結果は逆だった。“まさか”である。
“人は結果だけで判断しては行かん。実際に話しを聞かんと。。。”次男から教えられた。

次男には繰り返し言ったことがある。


(私)  “英語が20点で数学は80点とする。10点上げたいなら、数学より英語の方が簡単だろう。なぜ、そうしない。”
(次男) 「嫌いなものをやるより、好きな科目を頑張ってほうが良いし、楽しい。」
(私)  「そりゃ分かんでもないが、勉強できる時間は決まっている。同じ1時間を使って点数があがるのは、英語に決まっているだろう。大学は総合点の高い方で合否が決まるんだぞ。。」
(次男) 「そうかも知れんが、やる気ないね。」
(私)  「だからお前は、駄目なんだ。」
(次男) 「・・・知らん」


冒頭に書いた河合塾のキャッチフレーズ
“力のある人から、力の出せる人へ”

は本当に良い言葉である。とかく、あの人は頭は良いが。。とか、俺だって本当は。。と“力のあること”を自慢したがるが、そんなものより受験で大事なものは、試験でどれだけの力がだせるか、結果を残せるかである。1点の重みである。競争とはそのようなもの。



~写真は息子が絶賛していた笠井先生。 そして塾生へのメッセージ〜
“英語の学習ですべきことは意外とシンプルです。目標に向かって、一緒に楽しく頑張りましょう。”

                    続く



プラス1 “あのころ” ハゼ釣り

 私の夏休みの楽しみと言えば、ハゼ釣り・蝉取り・屋外プールの3つであった。今のようにゲームソフトも携帯電話もなかったから、もっぱら仲間と遊んだことを思い出す。それから30年、長男・次男が小学校になると、頻繁にハゼ釣りに連れていった。ある時、こんな会話をした。
 (私)  今日は、えさ(ゴカイ)を買うのはやめて、取りに行こう。
 (長男) えっ、何処で取るの。
 (私)  何処って、決まってるだろう。釣り場近くの浜だ。
 (次男) あんな場所にゴカイはいるの?
 (私)  いるに決まってだろう。だからハゼが釣れるんだ。
 (次男) へぇー、そうなんだ。
 
そして、いつもの釣り場でゴカイを取った。子供達は、“自分でエサを取る”ことにハシャイデいた。勿論、そのエサでハゼを釣った。

 この日 初めて、子供達が“エサはエサ屋(釣道具屋)で買ってくるもの”と思っていたことを知った。私の頃は、干潮時にエサを取って満潮の頃に釣る。釣道具屋にゴカイは売っていたかも知れないが、地元の人は買わなかった。

8月・9月の休日は子供達と頻繁に釣りに出かけたので、大物が沢山釣れたときは自宅に持ち帰った。長男は器用で、祖父(私の父)に買ってもらった出刃包丁で刺身にして生姜醤油で食べた。新鮮で実に美味かった。