会長の”次男の大学受験”                                                              第1章  全ては”まさか”から始まった。 8      

河合塾 3  私と河合塾
 
 殆どの予備校は講師と事務員が完全に分かれている。次男の通っていた河合塾刈谷現役校も、講師はプロ化していて名古屋などから出張でやってきた。その代り校舎には事務員がいて、生徒の面倒をみる仕組みになっている。塾の方針なのか、1年足らずで転勤していったが、息子が3年間通ったお陰で、多くの事務員と知り合いになった。宣伝になるかもしれないが、河合塾は面倒見が良いと思う。
年度初めには保護者説明会があり、学期末には父兄面談と言って3者面談がある。多くの生徒と同じで次男も親との同席が嫌で、もっぱら私と事務員との2者面談となった。次男の面倒を見てくれたのは20歳後半のサラリーマン経験者で、なぜ河合塾に転職したかは別にしても、同じサラリーマンとして話しが弾むことが多かった。30分の面談時間のうち、次男の話は5分足らずで残りは雑談だった。というより、私が先輩?として説教することが多かった。いわゆる、年寄が決まって喋る4つの話(自慢話・昔話・同じ話・説教話)である。その一旦を紹介する。


Oさん
彼は外国語学部英文科出身で、アメリカに憧れていた。私が3年間デトロイトに赴任していたと話したところ、尊敬?のまなざしでアメリカ事情について聞いてきた。ニューヨーク・シカゴなどの都市の感想。実践の英会話、etc。私が撮影した写真アルバムを自慢げに見せると、是非欲しいと目を輝かせたので(社交辞令かも知れないが)、欲しい写真すべて進呈した。そんなOさんが最も気にいったのはマンハッタンだった。若い人は都会に憧れるのかもしれない。もっとレアな風景かと思っていたので意外だった。
 ~写真はOさんが素晴らしいと言った1枚(ロックフェラービルから見たエンパイヤステート)~

 (私)   まだ若いんだから、アメリカに遊びに行ったら?
 (Oさん) 是非行ってみたいです。
 (私)   旅行と言わず、ここ辞めて留学したら?
 (Oさん) それはちょっと。。
 (私)   あっ そう。
 (Oさん) 若い生徒と触れ合っていると元気がもらえるし、楽しい。
 (私)   確かにね。まぁ頑張ってよ。


Yさん 
彼は非常に冷静で、生徒を理論的に指導していた。刈谷に来る前は岡崎校にいたという。後述するが、彼の言ったアドバイスを忠実に実行したことで、次男は成長するキッカケとなった。いうなれば“合格請負人”である。
  ~写真は河合塾 岡崎校〜

 (私)   前は岡崎校ですか? じゃ、賢い人もいっぱいいたでしょう。
 (Yさん) そうなんですよ。世の中には本当に賢い人間がいるんだと分かりました。
 (私)   岡崎高校からは東大や医学部に行く生徒もいるだろうから、仲良くするといいですよ。
 (Yさん) 僕も同感です。今でも数人とメールで連絡を取ってますし、悩み?相談も受けてます。
 (私)   そりゃ、いいことだ。

こんな感じである。全くもってオヤジの説教である。私としては、会社とは別世界の人たちと接することができ、新鮮だったし気分転換となった。

こうして3年間、私も世話になった。幸いにして次男は第1志望に合格することができた。最近になって、河合塾にバイト(模試の試験官,etc)登録をしたので、これからも世話になるのかもしれない。 “河合塾あっての三重大合格” 少なくとも私は思っている。
“ひとつ上が、見えてくる。”

これもキャッチフレーズであるが、入塾当初から見れば、次男はひとつ上どころか、“はるか上”にたどり着くことができた。

 父兄面談に参加して事務員から教わったことで、次男に話したこと。
  1)やりたくないもの・苦手なものは家ではなく塾でやる。
  2)模試は受けること。

                           第1章 終わり


   プラス1  “あのころ”   風呂 2
 私が下宿したころは、今のように部屋に風呂などある訳はなく、もっぱら銭湯に通った。料金は確か180円。コーヒーが250円だったから割安だが、さすがに毎日は行けなかった。(今は420円だからコーヒーより高い)
 さて、銭湯には“番台さん”がいて、料金徴収と“女風呂の覗き防止”が主な仕事だった。脱衣場には最新映画の宣伝用ポスターが貼ってあり、当然の如く有名な映画からアダルト映画(成人映画)まである。ある時、成人映画のポスターを見ていた私に、番頭さん(オバサン)が声を掛けてくれた。

 (番頭さん)  「お兄さん。成人映画に興味あるの。」
 (私)     「そりゃ、もう。。。」
 (番頭さん)  「そうやって正直に言う人少ないのよ。」
 (私)     「そうですか。。」
 (番頭さん)  「招待券があるので、良かったらあげるわ。」
 (私)     「本当ですか。」

そう言って1枚くれた。タダで映画を見れるとは嬉しいものだ。これ以降、番頭さんはアダルト映画の新作ポスターが張られる度に招待券をくれた。なぜか、流行映画のタダ券は一度も貰えなかった。どうやら“エロ学生”と認識されたらしい。少なくとも50本は見たに違いない。これ以降、中身の話が聞きたいかもしれないが、公共の画面であること、および会長としての面目丸つぶれになるので、ご容赦願いたい。
 “あのころ”を思い出すと、実に楽しい銭湯通いだった。