会長の”次男の大学受験” 第1章 全ては”まさか”から始まった。 5
高校1年生
期待に夢含ませて入学したのもつかの間、すぐさま実力テストが行われた。私の記憶では、
生徒数 275人中 260番
次男は少なからずショックを受けていたようであるが、私はむしろ、まだ後ろに15人もいることを喜んだ。
「入ってしまえば永久に最下位ではない。」
一方で、クラブはテニスに入りたいと言い出した。
(私) 「お前なぁ、せっかく中学校でサッカーを3年間続けたのだから、続ければ選手になれる。テニスだと1からじゃないか。2年生になっても、新入生に負けるぞ。」
(次男) 「わかってるって。だけどサッカーのセンスないし。。。」
(私) 「経験があるじゃないか。」
(次男) 「テニスは格好いいし、サッカーじゃ泥だらけで女性から注目されん。」
(私) 「お前なぁ。。。」
正直のところ、次男に運動センスはないと私も思っていたが、それを言ってしまうと やる気を失ってしまうので口には出さなかった。
結局テニス部に落ち着いた。格好から入る我が家の典型タイプである。すぐさま、ラケット・ウェアなど一流選手が身につける高額品が欲しいと言ってきた。
(私) 「お前なぁ・・・」
呆れて物が言えなかったが、好き嫌いが激しい性格のため、やる気を失ってはロクなことはないと思い、“親バカ”と思いつつ半分負担した。
こうして高校生活がスタートした訳であるが、勉強(いわゆる努力)をしないため、成績は一向に上がらなかった。
区分 | 時期 | 生徒数 | 順位 | |||
1期 | 4・5月 | 275 | 212 | |||
2期 | 6・7月 | 275 | 240 |
表が次男の夏休み前の順位である。低空飛行そのもの。赤点を何度か取ってきた。
「“まさか”で入学したんだ。これが真の実力」
当然といえば当然である。
半田東高校は年間を1期〜5期に分けており、各期で学校順位が発表される。1人でも多くの生徒を有名大学に入れんがための仕組みの1つだ。当然 教科ごとの順位・偏差値はむろんのこと、どの単元が弱いかも明記される。(ほっといてくれと言いたくなるくらい親切?である)
3者面談を前にして、“俺 就職する”と言い出した。
進路 | 人数 | |
---|---|---|
国立大 | 38 | |
公立大 | 13 | |
専門学校 | 13 | |
就職 | データ無し |
表は半田東高校の2010年の進路状況である。275名中 国公立は51名(20%弱)となっている。50番までに入らないと合格しない。残りは私立大学である。また、13名は専門学校に行っている。就職したというデータは無かったが、次男の順位250番では“就職。。。”と投げやりな気持ちになるのも“ご尤もな話”かもしれない。
(私) 「普通科から就職は不利だ。何の技術もないし、学校として企業へのコネもない。」
(次男) 「だけど勉強きらいだし、大学受かる訳ないし。」
(私) 「じゃ、専門学校を考えろよ。名古屋には沢山ある。お前の好きなものを探せばいいじゃないか。」
(次男) 「専門学校に行っても勉強しないといけない。する気はない。」
(我妻) 「今からそんなこと言ってどうするの。」
「兄ちゃんがあれほど頑張っているのに、お前は。。。」
(次男) ・・・・・
両親から説教されては勝ち目がない。さっさと自分の部屋に逃げてしまった。
今から想えば、随分と“気にさわる言葉”を掛けたと思う。折りしも長男が浪人中で、勉強疲れで夜遅く帰宅していたから、どうしても比較していたようだ。加えて、次男の描く高校生のイメージと実際の毎日が随分と違うことに失望していたことも事実である。“かわいい女性(自分の好み)がいない。”と、よく愚痴っていた。
こうして月日は過ぎていった。
続く
プラス1 “あのころ” 風呂 その1
来年 創部50年の50に因んだ話を紹介する。今から50年前(私が5歳)の我が家には、風呂がなかった。これは、それほど珍しいことではなく、村(町)にある銭湯で汗を流したり、我が家のように“もらい湯”と言って 親戚宅(多くは本家)の世話になることで代用していた。今から想えば、毎日風呂を沸かすだけの余裕が我が家にはなかったのだろう。その代わり、親戚で田植えや稲刈りがあると必ず手伝いに行った。
さて、親戚にあった風呂は“五右衛門 風呂”と言って、鉄板の下から炊くわけであるが、その上にある木製板をうまくセットしないと板が浮いてしまい(写真)、ヤケドする危険がある。これが怖くもあったが、面白くて浮かせては怒られたのを覚えている。
“持ちつ持たれつ” 日本人の和の文化である。