(長坂) 次男の就活 (4)

第1章 イマドキの大学生 その3

バイトは色々やったようである。
 私の持論であるが、大学生は諸経費(授業料・家賃・電気代など)を除けば、1日1000円で暮らしていける。だから、それだけの金額しか仕送りしなかった。いや、長男とダブル仕送りだったので、できなかったのが正解である。加えて奨学金も借りなかった。たとえ無利子でも借りた金は返さないといけない。もし子供が支払不能になった場合、定年後の私は年金から払わなくてはならず親も子も自己破産する。次男には申し訳ないが、“遊ぶ金はバイトで稼げ”と入学早々話しをした。
当然の如く生活は苦しくなり、聞けば随分ヒモジイ思いをしたようで、ある時アパートの大家から、「家賃が滞納しているので支払ってほしい」とクレームもあったほどだ。それでも次男(若者)は遊びたいらしく、サークルは活発にやっていたようである。

申し訳ないが、
 子供も遊びたいが、親だってやりたいことはある。
同世代の親と話すと
 “子供にはヒモジイ思いだけはさせずに、好きなことをやらせたい。”
という人もいるが、私はむしろ逆で
 “若いうちに(金で)苦労させたい。金を稼ぐというのがどういうものか、バイトはいかに使い捨て?か、それでも最後は人間関係が大切。。。などなど、世の中の仕組みを体で感じ取ってほしい。


ある時、次男が長女(自宅から勤務)に説教したことがある。
(次男) お姉ちゃん。水道代っていくらかかるか知ってるの。俺なんか。。。掛かるのでシャワーも毎日は使わない。
(長女) へー。。。そんなんだ。。
(次男) そんなに無駄に使っちゃだめだよ。
(長女) ・・・・ 
これには笑ったし、成長した次男を微笑しく思った。

〜写真は手書き家計簿である。次男の場合は仕送り・バイト代が収入で、使ったものが支出となる。ノートに書いたとは思えないが、頭の中で考えて食費・遊ぶお金などの工面をしたに違いない。〜

                                          続く


プラス1 色づく京都 六角堂  京都(平安京)の中心

 写真は京都の中心に位置する六角堂(頂法寺)である。聖徳太子が修業したというから、1400年も昔からこの位置に寺があったとされる。平安時代からは庶民の中心地となり、応仁の乱(室町)で京都市内が焼けると、生活文化や自治活動の中核となった。文字通り、場所と生活の中心である。

もう1つは、池坊(華道)誕生の地である。寺の住職だった池坊専慶が、法要に花を立てる名手となったからである。因みに寺が池のほとりにあったので、住職を「池坊」と呼ぶらしい。
 写真の左奥に「池坊ビル」がある。さらに左側にはスターバックスがあり、ガラス越しに六角堂が見える。

街の中心なので「色づく京都」とは言えないが、ゆっくりコーヒーを飲みながら古都を想うのも一興である。

〜写真右が京都の中心に位置する「へそ石」で、京伝説の1つとなっている。〜