全日本大学駅伝で思い出すこと

 明日(11月6日)は全日本大学駅伝で今年も第1中継所で審判員をやらせてもらう。今回が48回で全国高専より歴史が新しい。第1回は1970年3月1日に行われた。初代校長の須賀先生が東海学連の前会長であったり、電気の高田先生が元幹事長であった関係で、全日本の開催にはお2人が相当尽力された。
 私は当時2年生で、2月頃に小栗先生から全日本大学駅伝の開催が決まり、高専からもスクールバスの提供と補助員の協力の話を聞いた。しかしその後、寮で喫煙が発覚し陸上部員も含まれていたことから陸上部が解散になってしまった。前年には学園紛争があり寮内の風紀も乱れていた。主将や仲間からは、先生に謝ってもう一度陸上部を再建してもらおうと誘われたが、あまり熱心でなかった私は辞める絶好の機会だと思いそのままにしておいた。(再入部するのは3年生になった5月でした。)
 結局、1回大会には主将が参加されたぐらいであったと思う。今になって参加しなかったことを残念に思っている。在学中は愛教大が出場していて、応援に先生の車で伊勢まで行ったこともあった。卒業後はスタート地点で応援したり、伊勢神宮でフィニッシュを観戦したりしていた。退職してからは中継所で審判員をやるようになった。あれから半世紀近くになるが、私には第1回は幻の大会である。