(長坂) 京都 2016  〜京ことば ”おいでやす”VS”おこしやす”〜

京都を好きな人間は、2つのタイプに明快に分かれるという。
京都人も好きな人間」そして、「京都人は嫌いな人間」である。



 京ことば“おいでやす”、“おこしやす” の使い分けについて、今まで全く気にせず両方とも「Welcome、こんにちは。毎度。。」の類と思っていたが、どうやら違っていた(深い意味があった)。考えてみれば、ことばが違いということは、それなりの意味があるのは当然のことかもしれない。すわなち

(おいでやす)  不意の客や一見の客に対してつかうことば
(おこしやす)  約束をしていたり、心待ちにしているお客さんに対して使うことば。


 おこしやすの語源“お越しやす” は「わざわざ(遠方から)来てくださいまして…」という気持ちがこめられている。京都の料理屋の接客係りは、大きな声で「おこしやす」と言うことで奥の調理場へ報せる。つまり、接客した者以外に対してもどんなお客様が来られたかという合図になる。

一見さんと常連さん、それぞれに合ったおもてなしをする為の知恵なのだ。おいしさ、材料やサービスの質を変えるのではない。常連さんには、いつもと少し違った品や今日のおすすめ品を。一見さんには、京都らしいものや当店自慢の品を。当たり前の“おもてなし”をしているのであって、お客を差別しているというわけではないらしいが、これを我々“ヨソモノ”がどう感じるは別の話である。

 〜上記 写真は(嵐山)渡月橋の嵯峨野側を川に沿って200m上流行ったところにある老舗料亭「吉兆(きっちょう)」。ここの創業者 湯木貞一(1901-1997)は松花堂弁当を世に広めた人と言われるが、「おもてなしの心」を大切にする京都人の神髄かもしれない。因みにこの弁当箱は、松花堂照乗(江戸初期のお坊さん)の考案である。〜



【京都人の中華思想?】 日本の中心、日本の華。 それが京都
下記は華道の家元・池坊専永の話である。
京都は1100年にわたって天皇が住むことになった。 王城すなわち文華の中枢である。あらゆるものは京都に集まり、ここから全土へ発信される。 庶民にも都人としての気位(プライド)が形成されていった。そして全国から才子佳人が集まってくる。 彼らの子孫が代々結婚し、時には没落した王朝貴族、また異国の血を加えながら 絶えず優秀な血を取り入れ伝えてきた。それが積み重なって、今の京都人がいる。


 表と裏、建前と本音を巧みに使い分けるのも京都人の特徴である。
京都の人々は、他の地方の人々をこの上なく暖かく迎えてくれるように見える。これは彼らが都人として身につけた社交性の表れだろう。 が、多くの場合、内心はまず歓迎していない。自分を守るためである。これは、京都に生まれ育った者の、どうしようもない宿命だろう、 気がつくと表向きと裏向きの表情を身につけている。 どうにかせねばと思っても、そうしなければ生きてはゆけぬ町かもしれない。誰かに足をすくわれまいとすること、それが処世術であり、生きる智恵であり体の奥までしみついている。

 上記 写真は1年前にBSプレミアムで放映された「京都人の密かな愉しみ」に登場する常盤貴子さん。内容は短編ドラマで京都を紹介しており、とても面白い。登場人物の一人であるイギリス人の(同志社)大学教授が口にする言葉が、京都人の本質を突いている。

京都人は美しい! しかし京都人は分からない。。。


プラス1  主な京ことば  
『ドクショーナ』 (残酷な。ひどい) ドコショーナこといわハルワ
『テンゴ』 (悪ふざけ。いたずら) テンゴばっかりしたらアカンエー
『シンキクサイ』 (もどかしい) あの人は、シンキクサイ人ヤワ
『セツロシイ』 (気ぜわしい) なんかセツロシイナー
『ヤスケナイ』(品がない) これ、ヤスケナイ服ヤワ
『ハバカリサン』 (ご苦労さん。ありがとう) オーキニ、ハバカリさんドシた。
『オバンザイ』 日常のお惣菜
『オヤカマッサン』 お邪魔しました
『ゴモク』 ごみ
『ナンバ』 とうもろこし
『マッタリ』 (飲食物のとろんとした穏やかな口あたり) 伏見の酒はマッタリしてよろしオスナー。
 〜写真は京都(伏見)が生んだ銘酒“月桂冠” マッタリした味?〜


 今回で“京ことば”は終了です。
読者の皆さん オーキニ、ハバカリさんドシた。