(長坂) 京都 2016  〜風水の理想的な地形“京都”〜

四神相応之地(“しじんそうおう”のち)


 平安京は794年 桓武天皇が京都を都とした。“ナクヨ ウグイス へいあんきょう”小学校で覚えた年号であるが、なぜ京都の地を選んだか???
 実は風水の理想にかなった「吉の地」だったからだ。理想の地には4体の神が宿る場所がある。下表がその条件である。(巨椋池おぐらいけ)は1941年に埋め立てされ、今は地名だけが残る。)

方角 宿る神 宿る場所 京都の地形
玄武(黒) 船岡山
朱雀(赤) 大池 巨椋池
青龍(青) 鴨川
西 白虎(白) 山陰道

お蔭で、京都は1100年の間、都であり続けた。地震も台風被害も無かった。第2次世界大戦の戦禍も免れた。

“神様に守れている土地”
それが京都である。


さて、桓武は外的から守るために、平安京誕生後に次なる手を打った。現在残るものとしては、
 北東の方角(鬼門という)を守るために、比叡山 延暦寺を建てた。(最澄にお願い)
 平安京入口を守るために、東寺を建てた。(空海にお願い)

〜写真は、東寺(教王護国寺)にそびえる五重の塔。高さは約55m、木造の建築物としては日本一の高さである。平安京の入口を羅城門といい、現在の京都駅の南西1㌔にある。〜


神社・寺院が適当な場所にあるわけではない。
当時の“鎮護国家(仏教の力で国をつくる)”の方針のもとに建立されている。



(プラス1) 京都が一望できる場所“将軍塚”

 写真は、京都が一望できる場所の1つ「将軍塚」である。場所は八坂神社の裏山山頂で、京都ICより車で10分程度。ここから眺める京都は、三方を山に囲まれた小さな盆地であり、上述の「四神相応之地」を実感することができる。
 ここにも、桓武征夷大将軍として東北地方を征伐した「坂上田村麻呂」の将軍像を都の方角に向けて作った。もし天下に異変が迫ると、将軍像が地響きを発して知らせるためである。
 これも、京都(平安京)を守るためである。

 歴史を学びながら京都を訪ねると、魅力はさらに増す。
 京都は美しい! そして深い!

                                           続く