(長坂) 京都 2016  〜お寺の話  “鎌倉仏教”〜

仏教は外来宗教(輸入)である。


今や日本は仏教国である。私の家は曹洞宗(本山は永平寺)、妻の実家は浄土宗(同 知恩院 写真)であり、いずれも鎌倉時代に誕生した通称“鎌倉仏教”で先祖代々の供養をしている。

さて歴史を辿れば、仏教は

538年(又は552年) 百済(朝鮮)から伝来した。これを受験生は“ゴミヤ(538)はゴゴニ(552)”と覚える。


この後、政治の道具(鎮護国家)として発展した訳だが、今回のネタが「京都2016」なので、京都に関する部分だけ記載する。(詳しく述べるとボロがでるので概略です)
なぜ都を奈良から京都に移したかといえば、奈良仏教勢力から逃げるため桓武天皇としては自由に政治ができない。
平安京では“洛中にお寺は建ててはいけない”、という決まりがあった。
京都のお寺の配置を見ると分かるが、今でも京都御所(中心)あたりに大きなお寺はない。
鎌倉時代になり“武士が武力で国を治める”と、仏教は“民衆を救う”ことに変っていく。そのためには、“簡単”でないといけない。そこで、“念仏を唱える“、あるいは”座禅を組む“だけの宗教が生まれた。今回のお題である鎌倉仏教の誕生である。

特徴は以下である。

宗派 教え(私なりの解釈) 支持層 本山
浄土宗 念仏で天国に Help me Budda 公家 知恩院
浄土真宗 上記の延長 Thank you Budda 農民 本願寺
日蓮宗 信じれば現世で利益 商工業者 久遠寺
臨済宗 座禅で悟りを開く (上級)武士 妙心寺

     〜久遠寺山梨県、他は京都市内にある〜
 上記の中で、臨済宗禅宗)は新たに中国から輸入したもの。それ以外は天台宗比叡山)の分派である。やがて、仏教は民衆に広まっていくとともに力を持つようになる。


仏に仕えるということは、権力とか利害とは別のところにある真理を求めるのが本来の姿だと思うが、お坊さんは時代の流れと共に強かに生きてきた。天皇中心の平安時代は皇族や公家の庇護を受け、武家社会になると武家サイドに従順することになる。
武家社会(鎌倉〜江戸)は軍事政権である。武力で国を治めるのだから、お坊さんも戦争に巻き込まれていく。


プラス1 また訪れたい寺  青蓮院(しょうれんいん)
  写真は青蓮院の庭を静かに眺める外国人である。京都では、このような光景を至るところで見かけるが、ここは特に多かった。お寺で出会った外国人で多いのはヨーロッパ人(特にフランス人)、次にカナダ人、東南アジア人となるが、なぜかアメリカ人に出合ったことはない。たまたまなのか、お国柄(建国が1776年と新しい)なのか。。。

 
 さて、ここの“霧島の庭”がまた美しい。決して広くないのだが、全体の調和・色彩。。。言葉では言い尽くせない。この女性もしばらく動かず見とれていた。

 このお寺は門跡寺院である。門跡とは、皇族・公家が住職を務める特定の寺院のことで、格式が上とされていた。他に仁和寺世界遺産)・大原の三千院などがある。
 

 有名どころ(金閣とか清水寺とか。。)ではないので、それほど混雑はしていない。穴場である。
静かに物思いにふけるのは丁度よい。場所も祇園の交差点(八坂神社の前)から北東1㌔と便利である。

なお、このお寺には樹齢800年?とも言われるクスノキが何本もあり、その大きさに圧倒される。