会長の ”中欧を訪ねて”(海外旅行の勧め) 16

ベルリン(ドイツ) 前編

 ツアー最後の訪問地はドイツのベルリンである。私の世代でベルリンと言えば、
ベルリンの壁

歴史に名高い壁が見学できるのも今回の魅力。写真がそれで、壁の高さは4.1mある。
“まぁ、こんなものだな”

“壁”は予想した通りだったが、感動があった。不思議な気がした。それだけ重みのあった壁であろう。1961年の建設当時は全長155キロあったが、1989年に崩壊し現存しているのは数キロで、側面には画家が描いた壁絵がある。その中の1つに左写真の意味深なキスシーンがある。これは、ブレジネフ(ソ連)とホーネッカー(東ドイツ)の「兄弟のキス」と言われ、当然?人気の壁絵である。

写真はブランテンブルク門というプロイセン王国の凱旋門(1788)。この門から、首都ベルリンの旧官公庁が建ち並ぶ“ウンター・デン・リンデン(大通り)”が始まる。森鴎外が留学したフンボルト大学もある。彼は、ここで過ごした経験を基に小説「舞姫」を書いたのだろう。125年前の話だが、ちょっと感慨深かった。
観光客の殆どが門をバックに記念撮影をしていたので、我々も証拠写真を撮ってもらった。サマになっている! ナンチャッテ。


さて、一般にドイツ観光というと、古城・教会・音楽・景色がテーマとなり、その中心は南部が多い。パンフレットで目につくノイシュバイシュタイン城(写真)もその1つである。ドイツ赴任者の話でも、ニュルンベルクなどの南部がドイツらしいと言う。
 
まぁ見方を変えれば、“中欧、いやヨーロッパの”負の部分“を見つめるという阪急のコンセプトで、普段いけないベルリンを見学させてもらったのは幸いかもしれない。
だが、これでドイツを語るのはちょっとオコガマシイかな。。。

続く



プラス1 ドイツの歴史
 
トイツ人は狩猟民族のゲンマン人である。375年のゲンマン民族大移動で西ローマ帝国は滅び、その部族によりフランク王国が誕生する。870年に西フランク(フランス)・東フランク(ドイツ)・イタリアに分裂した。やがて、東フランクは962年 オットー1世が皇帝になり“神聖ローマ帝国”と呼ばれた。よく耳にする言葉だが、フランスが国家として成長したのに比べ、ドイツはバラバラだった。理由の1つは、“神聖ローマ帝国”という冠の如くローマのあるイタリア統治に熱心となり、ドイツ領地に関心が無かったとことにある。
 (図が870年メルセン条約で決まったドイツ領土である)

この後は、前述のオーストリア紹介で書いたので省略するが、“まとまりに欠けたドイツを”強いドイツ“にするために登場したのが、プロイセン出身のビスマルク(写真)。彼が中心となって1871年ドイツ帝国が誕生した。広さとしては、現在のドイツ+ポーランドの一部程度。
オーストリアの名君がマリア=テレジアなら、ドイツはビスマルクであろう。彼は政治家の憧れである。例えば、日本のビスマルク伊藤博文(初代総理大臣)、イタリアは。。。

 彼のお蔭でドイツは蘇ったと思いきや、皇帝ヴィルヘルム2世がビスマルクを首にしたあと植民地獲得にのりだしたため、隣国と衝突し第1次世界大戦を引き起こして敗北した。その結果、巨額の賠償金をフランスに支払うことになり国は疲弊したが、アメリカのお蔭(ヴェルサイユ賠償環)で経済復興を果たした。

 しかし、ウォール街で起こった株暴落から世界恐慌となり、これを“侵略による解決”を目指したヒトラー率いるナチスファシズム体制で第2次世界大戦を戦い、またも敗北。(ナチスユダヤ人虐殺については、前述アウシュヴィッツに記載。)この結果、東ドイツソ連が統治)・西ドイツ(英米仏が統治)に分断され、加えて首都だったベルリンは、西ベルリン・東ベルリンに分かれるという戦後秩序が出来上がった。ベルリンは東ドイツ内にある。ここに英米仏統治の西ベルリンが存在した。この西ベルリンをソ連が1日にして有刺鉄線による壁を作って囲んだ(1961年8月13日)。その後、冒頭の写真“ベルリンの壁”が築かれた。狙いは、東ベルリン国民の西ベルリンへの流出防止である。終戦後、西側諸国(自由主義)は豊かになったが、東側(共産主義)は行き詰まり、生活に差が出たためである。ベルリンの壁
“東西冷戦の象徴”

〜写真はブランテンブルク門をバックに、崩壊した壁に集まるドイツ国民と国旗〜


ソ連ゴルバチョフが登場し、ペレストロイカ(改革)を推進する中で東欧革命(民主化)が起こった。ソ連の干渉がなくなり1989年11月10日 ベルリンの壁は崩壊し、1990年10月3日にドイツは再統一した。
 

1992年11月1日 EUが発足しドイツはフランスと共に、その中心を担っている。頭が良いのか勤勉なのかは知らないが、ドイツは経済力がある。国が豊かであれば安定する。

昨今の話題は、2014年ワールドカップサッカーで優勝したこと。ただでされビール好きのドイツ人だから、さぞ売り上げが伸びたに違いない。そう言えば、首相のメルケルさんの嬉しそうな顔が思い出される。

ドイツ人口 8200万人、面積:日本の94% 首都ベルリン 通貨ユーロ