会長の ”中欧を訪ねて”(海外旅行の勧め) 9

アウシュヴィッツポーランド

 
 ツアーの中で、ここだけが異色の訪問地である。美しい・美味しい・古いという言葉からは縁が遠い。それは、ナチスドイツの強制絶滅収容所
『負の世界遺産

アウシュヴィッツはドイツ語の地名である(ポーランド語はオシフィエンチム)。多くのユダヤ人が、ドイツ占領下の土地から連れてこられ、ある者は即座に殺され、ある者は過酷な労働に従事させられた末に殺された。奇跡的に釈放された1人が「アンネの日記」作者の父オットー・フランクである。

この入口に書いてある文字
「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」

聞けば聞くほど悲しくなる。さすがに、私も含めメンバー全員が神妙な顔つきで見学した。


 
 写真は、教科書によく出てくる子供と母親の姿である。彼らは、この後 ドイツ人医師の判別があり(労働できるか否か)、老人・子供・女性など働けないと判定されると、毒ガス室に押し込まれチクロンBの投入から30分足らずで全員が死に焼却される。これが毎日行われていたという。

「殺人工場」

 見学では、収容者のカバン・靴を始め髪の毛も展示されていた。説明の中で驚いたのは、

ユダヤ人を殺していたのはユダヤ人」
彼らは作業に従事するか、自分が殺害されるかの選択しかなかったらしい。


“ちょっとね。。”
ガス室も見学したが、花瓶に立派な花が飾られていたのが印象的だった。



今回のガイド中谷剛さん。ツアーメンバーが
“中谷さんに会えて感激した”

と語った。聞けば、彼はアウシュヴィッツで唯一の外国人公式ガイドらしい。もっと早く教えてくれれば記念写真でも撮ったのに。。
 説明の中で印象的だったのは、
1)ユダヤ人虐殺はヒトラー個人ではなく、見識ある人が沢山いたドイツの国家思想として実行された。
2)年間見学者は140万人(内ドイツ人6万、韓国4万、日本1万人。ポーランド60万)。“若者になぜ。。。”と考えてもらうことが重要。


韓国が4万人で、日本はたったの1万かぁ。。。日本人は平和ボケしていると言われているけど、そうかもしれんな。私もそれほど興味があった訳じゃない。 ちょっと反省した。帰国後、彼の著作「アウシュヴィッツ博物館案内」を買って改めて読み直してみた。それにしても、中谷さんは偉い。
「日本の誇りだ!」

続く


プラス1 アウシュヴィッツの犠牲者

収容所に連行されたユダヤ人は合計110万人
ハンガリー 43万人
ポーランド 30万人
フランス  6.9万人
オランダ・ギリシャ   各 6万人等である。
(写真は第2アウシュヴッツ収容所(ビルケナウ)にある“死の門”。ユダヤ人がヨーロッパ各地から列車で連れて来られた。ここの出口は”煙突の煙”と言われた。)

ナチスの思想は下記である。
ユダヤ人は完全に絶滅させなければならない人種である。」
「我々はドイツ国民をポーランド人・ロシア人・ユダヤ人とジプシーから解放しなければならない。」


この思想のもとにアウシュヴィッツが設立され、多くが虐殺された。因みに、第2次世界大戦では3,200万人が犠牲となった。ロシア2,000万人、ポーランド600万、ドイツ600万(日本は300万)。第1次大戦の1,000万に比べその悲惨さが分かる。

人類はここ100年の間に2回の大きな戦争を引き起こしてしまったが、結果的に“勝った・負けた”はあっても、失うものが殆どで得るものは無かったかもしれない。

 ここを訪れるまでは、日本が最も犠牲の多い国と思っていたが(原爆もあったし)、この数字からヨーロッパが如何に悲惨だったかを知った。


(写真は広島に投下された原子爆弾の実物大(2mほど)。アメリカ赴任の際、ニューメキシコ州アルバカーキ市にある科学博物館で偶然見つけた。これ1つで14万人が死ぬとは。。。人の命は儚いと思った。)


今日はお盆。歴史を振り返って平和を祈りたい。