(長坂) イギリスよ 何処へ行く (番外)

イギリスへの行き方
 写真は7月29日(金)朝6時のアタチュルク空港(イスタンブール)である。クーデターが7月15日に発生してから2週間しか経ってなかったが、普段通りの賑やかな雰囲気で活気に満ちていた。キャビンアテンダントに話しを聞いたところ、クーデター直後数日は客が減ったが、すぐ平常となったらしい。因みにこの日も満席。
日本人が心配しすぎるのか他国が楽天的なのか??

今回は、トルコ航空を使っていわゆる“南周り”で行ったが、乗継も含め20時間。平面地図では近そうだが、日本⇔イスタンブール間は12時間30分掛かかる。これは北回りのイギリス直行便と同じ時間である。とても疲れるが、、、安い。
市販の安価なツアーは南周りと考えた方が良い。ただ、見方によっては空港で見慣れぬ物を買うことができる。


(最後のハプニング)
 イスタンブールでの乗継時間が2時間しか無いので心配だったが、予想通り?飛行機が遅れて到着した。出口の係員から、
“オーサカ(関空)。。。急げ!”
と言われ、2時間の時差があることをすっかり忘れてしまい
“飛行機が我々を待っている。早くしないと。。。どうすれば良いんだ。聞いている時間がない。”
右か?左か?。。とりあえず右へ走った。

(妻)“誰かに聞いたら? 左側のゲートかも知れないし。。”

案の上、右側は行き止まりとなり急遽引き返した。これじゃ、話にならないと我に返り(と、いうよりも、これで飛行機が出てしまったらイスタンブールに1泊だと腹をくくった)、係員に聞いた。
“28番ゲート、まだ1.5時間ある”

この時、2時間の時差があったことを思いだした。平然と待っている日本人の前を、妻と大きな声を出しながら走っていた自分が恥ずかしくなった。妻は50%の呆れ顔と50%の安堵感で何も言わなかった。


(写真上がイスタンブール“アタチュルク空港” アフリカ・中東・アジアの玄関で、利用客も多いビジーな空港である。24時間オープンしているので、ここで仮眠ができる。因みにアタチュルクとは、近代トルコ建設の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクから命名(写真)。日本でも高知が“龍馬空港”と言われるように、地域の英雄の名前である。)


(最後の最後のハプニング)
上記には尾ひれがついた。結局、関空行は2時間近く遅れて出発し、翌日の21時前に到着した。帰りの新幹線切符を買おうとした時、
(妻)“早くしないと、最終に間に合わない。。”
(私)“そんな筈はない。まだ9時だぞ!”
(妻)“だって乗継サイトは、そうなっている”


私は心配はしてなかった。『ここは日本だ。大阪に泊ることくらい大したことない』

ところが売場が長蛇の列でしかも外国人ばかり、
“こりゃ、あかんわ!”

運よく自販機が空いていたので利用した。今まで使ったことが無かったが、地元「東浦」までの乗車券も簡単に購入でき、便利だと分かった。

ただし、妻が乗継最後だと言って電車“特急はるか”には間に合わず、次の便になった。
(妻)この電車じゃ、帰れないからね!
(私)そんなことない。まだ9時半だぞ。。お前、なに調べているんだ!
(妻) だあーーって。。

仕方なく(なぜか冷静で自信があった)自分の携帯から調べると、最終新幹線に間に合うことが分かった。
(私)ほらっ、間に合うじゃないか。。
(妻) 本当だ。。。おかしいなぁ。。。
   ・・・・・
(私) (小声で)長生きするわ、お前は。。
   ・・・・・
(妻) もう、このサイトやめよぉ!

イスタンブールの件もあるので、これ以上いうのは止めた。

色々あったが、8泊9日のイギリス旅行を無事に終えることができた。

                                        全編終了

追伸:正月の茶話会にイギリスの写真を持参します。