会長の ”東北震災地を訪ねて(後編)” 震源地 宮城 4
松島や ああ松島や 松島や
この句は、江戸時代に詠まれたもらしい。(作者は芭蕉ではない)
おそらく松島の絶景に言葉が浮かばず、つい出てしまった句だが、感情が見事に伝わってくる。
震災の酷い東北海岸部において、岩手の浄土ヶ浜、福島いわきのスパリゾートハワイヤンズ、そして、宮城には松島という観光地が元気に営業しているのは、うれしい限りである。
因みに、天橋立(京都)・宮島(広島)と合わせ日本三景と言われている。
Mさんからは、松島は被害が少ないので是非立寄って欲しいと言われた。先回紹介した石巻から、車で30分足らずの場所にある。石巻や大曲浜を見たばかりなので、
“本当にそうかな。。。”
疑心暗鬼で行ってみると、これが驚くなかれ、震災が無かったように人が溢れ観光船が行き来していた。
“いやぁ。賑やかだな。さっきの石巻は何なんだ!
聞けば、津波は松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、その勢いを弱めたらしい。更に浅い海に入って速度が落ちて急激にエネルギーを失った。その結果、隣の東松島市の犠牲者が650人を超えたにも関わらず、松島は1人にとどまった。松島は湾内にある260もの島々の総称なのだ。住民は
「島が津波から守ってくれた」
と感謝し、美しい景観を取り戻そうと流れ着いたがれきの撤去に取り組み、再生に動き出したとのこと。(写真は松島湾の全容。津波は島にぶつかって内陸部まで到着できなかった。)
震災地を訪ねて海岸の街を訪ねたが、観光渋滞は初めての経験である。
“土産を買って少しでも。。。。”なんていう気持ちは吹き飛んでしまい、
“何で進まないんだ。この道”
“何処か、抜け道はないのか”
という、普段の運転モードになってしまった。
これくらいで、日本は丁度良いのかもしれない。
本当は、松島には四大観(絶景ポイント)があると聞いていたので行く予定だったが、普段の観光地と思うと逆に興ざめしてしまった。少なからず、被害にあった松島を見学するつもりでいた。
(写真は松島四観の“麗観”)
時間が出来た。そう言えば、Mさんが言っていた“閖上(ゆりあげ)地区”に行ってみるか。
諦めていたスケジュールを再度焼き直した。
続く
プラス1
先日、Mさんに久しぶりに会った。震災地訪問の話をすると、当時を思い出すように語ってくれた。印象に残ったことは。
『もし津波が無かったら、原発も含めてこれほどの被害は出なかった。その証拠に、内陸部では電気・水道などが止まり家族総出で助け合いをした。ロウソクの前に全員が集まり会話した。分担して買い出しや水汲みに行ったという。その結果、家族の絆が深まった。また、震災後の東北被災地では夫婦関係が良好になったらしい。』
“そうかもしれない。”
今は家族が集合して話すことが少ない。助け合う必要もない。
夫婦・家族の語り合いよりも、楽しいことが山ほどある時代に生きている。
変な話だが、今の日本には時折 丁度良い震災?が来る方が良いのかもしれない。