会長の ”東北震災地を訪ねて(後編)” 原発を行く 12
迷い道 3
この写真は、迷い込んでしまった葛尾村の田園風景である。上は、全国どこにでもある“田んぼ”。9月ともなると、稲は穂先を垂れ豊作の秋を迎える。それに対し下の写真は、避難指示区域の田んぼ。一面、雑草が生えた荒地である。本来なら、豊作を祝うはずであったが。。。
2つの場所は、距離にして1キロしか離れていない。国が指定した区域の中か、ほんの少し外かである。
“1キロで何が違うんだ。”
原発被害は怖い。それは、目に見えないからだ。
さて、地元の運転手さんからJR小高駅への行先を聞いたわけだが、その前にトイレに行きたかった。本当は、こっそり立小便をするのだが、ここは福島 それも避難指示区域内である。復旧のため沢山の人がマスクを掛けて作業している土壌を。。。
さすがの私も気が引けて、復旧作業の詰所まで行くことにした。(写真は葛尾村にある復旧詰所 震災以前は診療所だった)
避難指示区域に来て、“スミマセン トイレ貸してください。”というのも勇気がいることではあるが、公園も含めて使える所がないのだから仕方ない。
教えてもらった場所は500m先にあった。さすがは復旧詰所。パトカーあり・草刈機あり・立て看板ありの復旧最前線そのものだった。やっと見つけた作業員に
(私) “スミマセン トイレ貸してください。”
(作業員) ・・・・何をしに来たか”と疑うような目つきだった。取材記者か、ドキュメントの作家か。。。
(私) “ドライブ中、ナビが正常に作動しなくなり迷ってしまって。。。”
(作業員) “その向こうにあります。”(やっと信じてくれた様子だった。)
そう言うなり、すぐ仕事場に向かった。
恐らく、ここに訪問者が来ることは稀で、仕事以外の人間と会うことは無いのかもしれない。用を済ませて辺りを歩いてみると、診療所の他に集会場や運動施設らしきものも見えた。
完全に場違い。
しかし、これは仕方ないこと。昨日の『警察に止められる所まで行ってみる』とは違い、予期せぬトラブルなのだ。と、自分に言い聞かせるように詰所を後にした。そしてダンプの運転手に言われるままに、来た道を引き返した。
冒頭の写真のように、ある場所から急に人が増え、田畑には農作業をする人が忙しそうに働いている。これが人間の営みであり、町は潤いを取り戻している。
“何で、さっきの所はダメで、ここはOKなんだ”
“そんなこと言われても誰も答えられない”と、自問自答した。
放射線被害は空気感染なので、津波被害のように見て明快に区別できない。『中心地から○○距離以内なので危険であり、外なので安全とする(決める)。』
しかし、これで人の運命が大きく左右されるのも事実だ。
辺りを見渡すと、昨日の黒い土嚢ではなく白い土嚢が沢山ある。値段の差なのか、市町村の方針なのだろうか。。。
きっと、この土嚢も土を被せて“閉じ込める”のだろう。
葛尾村の印象は、何とも筆舌に尽くしがたい。
“陸の孤島でもなく。隔離された街でもなく。。。。これも原発の悲劇かもしれない。
続く
地震発生の翌日12日午後3時36分 1号機で爆発が起きた。頑丈なコンクリート製の天井や建屋上部の壁が吹き飛んで、鉄骨がぐちゃぐちゃになった。
続いて14日 午前11時1分 今度は3号機が爆発した。規模は1号機よりも大きく、隣接する4号機の壁まで破壊した。
「正直なところ、忘れていた。」
と、専門家も吐露(とろ)している。危険は原子炉だけではなったのだ。建屋が破壊したことで、格納容器の外部にある「使用済み核燃料プール」が外部へとむき出しになってしまった。
ECCSが作動せず、冷却水の水位が下がっていく圧力容器内は、いよいよ危機的になった。水がないために核燃料が高温で溶けて崩れ落ちる「炉心溶解(メルトダウン)」が起きる恐怖だ。最悪のシナリオは、圧力容器の外へと溶け落ちた高温の核燃料が、格納容器の底にある水に触れるなどして水蒸気爆発を起こし、格納容器ごと吹き飛ばして放射能が外部へまき散らされること。
実際、2号機では15日午前6時10分に爆発が起きて、圧力制御室が壊れた。この結果、原発の周辺では放射線強度が跳ね上がった。
“放射能漏れ”
至上命令の3つ目「閉じ込める」も、あっさりと破られた。