会長の ”東北震災地を訪ねて(後編)”   原発を行く 8

原発の悲劇 1

 この写真は、富岡町の繁華街である。一見、普段の街と何ら変わらない。地震で壊れた形跡もなく、信号機も正常に作動し車が行き来している。しかし、違う。
 20分くらい眺めていたが、誰ひとりとしていない。動くものがない。
町が全く機能していないのだ。

昔、街から急に人がいなくなった映画があったが、これと全く同じ光景である。
“廃墟と化したのは、建物ではなく人である。”

今までに陸前高田気仙沼田老町など、いろいろ訪問しその爪跡を紹介したが、私の中では、この写真が最も衝撃の1枚である。
生れて初めてみた恐ろしい景色だった。
悲しみはなく、なぜか“怒り”が込上げてみた。



 さて、予定していた侵入限界地点まで辿りつき、原発最前線の状況を見学した。この後、来た道(国道6号線)をリラックス気分でドライブしてみると、来る時は気に留めなかった景色が見えてきた。上記で紹介した“人が消えた町”もそうであるが、もう1つ 至るところに黒い土嚢らしきものがあった。形は、いわき市海岸にある仮防波堤と同じだが、この土嚢は明らかに違う。
放射能で汚染された土”

これが袋に詰められ、“仮設置場”と称した農地に積み上げされていた(写真)。このような風景がいたるところにある。残念なことだが、今の見通しでは、“仮”が取れることはない。
“何で、こうなっちゃたんだろう。。。。”


 勢いで原発の現状を見学してきたが、ここに来て、寂しさと自分の行動を反省するという変な気分に駆られてしまった。
この辺りは阿武隈高原が広がり、本来なら自然が残る美しくのどかな風景だったに違いない。


 暗くなり始めた避難指示区域をドライブしながら、初日の福島を後にした。
(写真は、常磐自動車道阿武隈高原、そして手前にある放射能汚染の土嚢の山)

続く


プラス1 原発事故について 1 〜朝日新聞より〜  

地震の翌日(3月12日)、第1原発で爆発音がして白煙が上がった。
“第1原発で、建物の外壁がなくなっているように見えます。”
テレビ画面が、爆発の前後で原発の外観がどう違うかを比べて見せるニュースが話題となった。


 原子力発電所の安全性を約束する「至上命令」としての言葉がある。
 “止める・冷やす・閉じ込める”

の3大鉄則だ。今回、地震津波原発を直撃したが、運転中の原子炉を「止める」ことは達成された。しかし、次の「冷やす」という鉄則が、相次いで起きる深刻なトラブルによって行き詰った。危機の到来である。(写真は被曝検査を受ける住民)