会長の ”東北震災地を訪ねて” 津波の爪跡 5
陸前高田 3
〜写真は高田第一中学校をグランドから撮影したもの。正面は校舎だが手前左右が仮設住宅。白い車は住民の自家用車で、校舎前に20台程の駐車スペースがある。昔のグランドが全て仮設住宅の生活空間となっていた。〜
さて、震災地を訪ねたいとOさんに相談した時、
“せっかくなので仮設住宅の現場を是非見てください”
と言われスケジュールに盛込んでくれたのだが、正直なところ「被災者と向き合わない」といけない。これは避けては通れない。観光ツアーならガイドの話を聞いていれば良いが単独訪問である。
“怖いなぁ。。”
しかし乗り掛かった舟だと覚悟を決めて、高田第1中学校そして仮設住宅を訪ねることにした。学校の周りを走っていると、車が学校方面に入っていくのが見えた。
“あの車についていくか、”
旅行者の感のようなものである。そして予想通り、中学校のグランドに到着した。ドライバーは仮設住宅の住民だった。駐車場に車を停めたが特に指定場所はないようだ。初めて仮設住宅を見た感じは
“これか。。。”
“・・・・”
次の言葉が出なかった。狭いと言えば狭い。“仮設“と思えば十分かもしれないが、いつまで続くのだろう。ちょっと悲しくなった。
ここは被災地で最も早く着工され、36戸に対し1160世帯が応募したと言う(競争率32倍)。また、震災直後中学校へは千人を超える被災者が避難していたらしい。
それにしてもグランド全て住宅で埋め尽くされていたが、唯一残っていたのは野球のバックネットだった。(写真右側がネット)
“あっ、ここが野球練習場だったのか”
あれから2年半。
いろんなもの(言葉でいえば異常(非日常)なもの)が普通の風景となっている。
“時は悲しい過去を忘れさせる。”
だから人間は辛いことがあっても、やっていけるのだ。
一通り学校の周りを歩くと、テニス練習を終えた生徒が元気に声を掛けてくれた。
“こんにちは”
校舎の中からトランペットの音が聞こえる。
普通の中学校の風景である。
私のような訪問者から見れば、違いはグランドが新しくなったこと・校舎の前が住宅になったこと。しかし、ここの住民は、家を失ったこと・家族の命が奪われたこと。。。。(写真中央が新しくなったグランド)
仮設住宅を覗いてみることにした。プレハブ作りで狭いが玄関もあるし郵便受けもある。洗濯物やプランターで野菜も作っている。
“人間が毎日生活するのだ。当たり前のこと”
こっそりと写真を撮った。私の中では勇気のいることだったが、周りの人は私に敵意の眼差しは向けていない。恐らく、よくある風景なのだろう。
やがて、1人の男性(以下 Oさん)が私のところに近づいてきた。
(Oさん) “ここは初めてかね。”
(私) “はい、名古屋から来ました”
(Oさん) “案内してあげるよ。”
そう言って、Oさんは私を陸前高田市が一望できる場所に案内してくれた。
(Oさん) “よくテレビで紹介される場所だよ”
(私) “そうか、ここが。。。”
私が納得するのを待ってOさんは語り始めた。
続く