会長の”次男の大学受験”                                                                あとがき 4(最終回)

(最終回となりました。忘れたことなどを思うままに書きます)


ところで私は
 さて私自信の話だが、次男の受験が終わってから緊張も期待も不安もなくなってしまった。気が抜けてしまったらしい。こんな言葉があるか知らないが、
 “親の5月病”
今までは次男のやることに何かと世話を焼いていたし、各大学の試験問題や合格ランクに“ドキドキ・ハラハラ・ワクワク”の連続だった。それを思い出しながら連載用の資料や次男の成績を調べた。次男に乗っかって一緒に楽しませてもらった。
人間は何か目標に向かって進んでいる時が幸せらしい。
(写真は三重大学 工学部:次男は今頃。。きっと遊んでいる(楽しんで)だろうな。。)


夢は老いることなく悠久のまま
 次男には、“大学に入ったらのだから、新たな夢・目標をもて”と言っているが、まさしく私も新たな目標を持たないといけない。
三井住友VISAカードのCMじゃないが、、、


“ところで、パパの夢は何なの?”
“だって、パパはもう。。。。”
・・・・
いっそ、もっと、輝こう。
“夢か。。。よーし”



大学受験を山登りと考えると
 次男の大学受験を見ていて、山登りに似ていると感じた。

1) 受験にもスタートラインがある。(いわゆる登山口)
 成績が芳しくない人というのは、山登りで言えば下界から頂上を目指すようなもの。これに対し、成績が良い人は立派な登山口(北アルプスなら上高地)からスタートできる。限られた時間で確実に安全に山に登るには、登山ルートから登るのが最良である。(写真は上高地 河童橋
難関大学を目指すには、まず登山口まで早くたどり着くことが重要である。

2) 偏差値は高低差
これは私の感覚だが、偏差値“1”は山の高さでいえば50m。同じ50mを登るにしても、2000mに比べ3000mでは危険度も増すし技術も精神力も必要である。偏差値も同じで50を51にすることと60⇒61では大きな違いがある。
(写真右が槍ヶ岳  3000mになるとクサリ・梯子も多くなる)

陸上競技も全く同じ。


 
最後に
現代は。。。と今を悪く言う人もいるが、私はむしろ逆で、こんな平和な時代はないと思う。まず戦争がない。殺す・殺される心配がないのだ。これは素晴らしいことである。また江戸時代のような身分制度だと一般庶民は将軍になれないが、今は総理大臣になれる可能がある。
 “努力する余地が十分ある。”
50歳を過ぎた私には、自由と平等な世の中に見える。加えて 我々の周り(愛知近辺)は、大変恵まれている。
“文句を言う暇があったら、頑張るところに時間を使うほうが賢い”と思う。

この平和な時代が続くように私も頑張りたい。
“目一杯 仕事(勉強)し、目一杯遊ぶ” 
これが幸せな人生だと思います。

                             全編終了