会長の”次男の大学受験”                                                                第2章  潮時 8

上を見たらキリがない 下を見たら成長がない。 1

ほとんどの大学が、夏休みに“オープンキャンパス”と題して学部・学科紹介をやっている(豊田高専も10月に実施)。無料の食事付きである。この試みは本当に良い。実際に目で見て肌で感じて、
「ここを目指そう。○×学科が楽しそうだ。」
「ここは俺の行く場所じゃない」
と判断できるからだ。会社では、これを現地・現物・現認という。今や英語にもなっている。“Go & See”である。


さて、次男がオープンキャンパスに選んだのは広島大学三重大学だった。
 ~写真は広島大学 東広島キャンパス〜

(私)  何で、また広島だ。
(次男) 今の成績から考えて何となく。
(私)  そうか。せっかく行くのだから、帰りに神戸大学岡山大学も見学してこいよ。
(次男) えぇー。
(我妻) そうだよ。 高い新幹線代払うんだから見て来なさいよ。
(次男) いいわ。(これは、“嫌だ”という次男の口癖)
(私)  とにかく、オープンキャンパスの日程だけは押さえておけよ。
(次男) 分かったぁ。。
 (結局、返事だけだった。やる気がないと全く動かない性格なのだ。)
       ・・・・
(私)  三重大だったら、父さんが車で一緒に行ってやる。
(次男)  いいわ。
(私)   何でだ。。
(次男)  友達と一緒にいくことになってる。
(私)  そうか、それならいいが。本当に行けよ。
(次男)  行くって。うるさいなぁ。ほっといてくれ。
      ・・・・・
(私)   早稲田も行ってこいよ。受けるんだから。
    ★後述するが、私が無理やり受けさせるようとしていた。
(次男)  えぇ。。
(私)   とにかく行けば、やる気が出るかもしれんだろう。
(次男)  いいわ。東京は。
(私)  そうか。あと近場はどうする。
(次男) 考えていない。いつでも行けるし。
(私)   お前なぁ。時間なんて無いんだぞ。せめて名工大くらい行ってこいよ。
(次男)  俺は総合大学へ行きたいんだ。
(私)  そうか...そうかもしれんな。女の子 少ないしな。
(次男)  まぁ、そうだね。
      ・・・・
こんな会話が延々と続いた。
思いも寄らない成績急上昇で、次男よりも親の方が大きな期待を抱いていた。振り返れば、1年の時は“専門学校で良し“とした。2年は”琉球大学へ行く“と行ってはいたが、実際のところは近場の私立大学で、できれば上の方に行ってほしいと願った。(名城大学中京大学・・・)
 それが、3年生になって国立も夢じゃなくなった。この調子なら京大は無理にしても、名大などの難関大学合格の可能性だってある。何しろ伸び盛りである。やればやるだけ伸びている。実際、成績が急上昇して難関大学に合格した話は、予備校の合格体験記に山ほど記載されている。だから、可能性がある大学をこのタイミングで見るのが絶対よいと思ったが、親が間違っているのか、子供が間違っているのか。。。結局、次男は2校のみ見学である。


 8月7日 広島大学オ-プンキャパスの日
親として何かできることはないかと考えて、長男を同行させた。兄弟の仲は良いとは言えないが、何しろ一浪 京大合格の百戦錬磨である。甘いも辛いも、そして入学後の生活とくに一人暮らしについても大いにアドバイスすると期待した。

 帰宅して早々 次男は言った。
(次男) 広島大学は止める
(私)  なんでだ。
(次男) キャンパスは広くて大学らしいけど、周りに何もない。これじゃ、つまらん。
(私)  そうかぁ? 広島市だろう。
(次男) それが、新幹線では広島駅の1つ前“東広島”で降りるんだ。そこからバスで20分かかった。はっきり言って田舎だ。
(私)  そうか、知らなかった。父さんは、てっきり広島市の街中にあると思っていたが、お前が嫌ならしょうがないな。
      ・・・・・
(私)  ところでお前、兄ちゃんと話したか?
(次男) 帰りの新幹線の中で受験のことを聞いたけど、“忘れた”と言っていた。下宿のことは聞いた。
(私)  そうか。役に立たんかったか。兄ちゃんにも申し訳ないな。
    ・・・・・
(次男) 難関大学を受けようとすると、社会を余分に勉強しないといけない。父さん、世界史Bを今からやるのは遅いかなぁ。
(私)  うーん。世界史は覚えることが沢山あって大変だぞ。
(次男) そうかぁ。
(私)  お前、何で最初から世界Bを取らなかったんだ。
    〜写真は受験の定番 山川出版“世界史B”〜
(次男)  だって、こんなに成績が上がるとは正直思わなかった。
(私)  今さらしょうがないか。
(長女) そうだよ。今からじゃ、遅いよ。止めときなよ。全部だめになるよ。
(次男) やっぱ、そうだよね。
     ・・・・・

 この一言が、大きな決断となった。帝大などの難関大を受ける道を閉ざしたのである。

最終的に三重大合格したあと、聞いたことがある。
(私)  お前、夏休みに入ってすぐ世界史Bを勉強するかどうか迷って、結局やめただろう。
(次男) うーん。あの時、勉強していたら違う道があったかもしれない。正直、まだ勉強する余裕があった。
(私)  やっぱりそうか。父さんも、あの時のこと気になっていた。


 私は、これを“潮時”とみている。
神様が“やめなさい”と教えてくれたのだ。


成績が急上昇すると、いったい何処まで上がるのか自分でも分からなくなる。まるで株価と同じだ。以前も書いた。
「凧凧上がれと言うけれど、天まで届いた凧はない。いつかは必ず落ちてくる。」


 この後、三重大学オープンキャンパスに友達と行き、気に入ったようで、以降 第一希望 三重大学は不動となった。

続く



プラス1  広島大学 浅原学長の言葉


 大学で学ぶべきことは、社会に出た時に遭遇する困難を乗り越える力。

勉強や研究に夢中になって取り組み、困難の先にある喜びの瞬間を味わい、自分たちが社会を担うのだという気概を持った人になって欲しい。・・・
 人類史上最初の被爆地となった広島は、壊滅的な戦禍から奇跡的ともいえる市民の力により不死鳥のごとく蘇り、復興を遂げました。このような環境の下、「自由で平和な1つの大学」という建学の精神を継承し、人類の未来社会に繋がる科学研究や優れた人材育成を通して社会に貢献することで広島大学の使命を果たすものです。・・・・
 正解のない課題に挑戦し、課題を解決していく力を身に付けて欲しいと思います。知恵とは、実際に体験して身に付くものです。学問は知恵を身に付けるためのもの。そしてそれは夢中になれる「最高の遊び」でもあります。・・・
 「正面から課題に取り組むこと」「困難から逃げないこと」、これは60年間変わらず本学が誇ってきた、広島大学の魅力です。