会長の”次男の大学受験” 第3章 出陣4
センター試験 2
さて、“まさか”の漢文のお蔭で、本人としては“そこそこ”の点数となった。もちろん、影響は+20点程度なので、それを差し引いても十分に戦えるだけの実力はあったと思う。(写真は三重大学工学部)
表が、河合塾が出している難易度であるが、数学1Aを始め“難”マークが多いことからも、去年に比べて難したったようだ。総論としては
“浪人に有利な問題”
科目 | 難易度 | 全国平均 | 次男 | |||
国語 | やや難 | 118 | 125 | |||
数学1A | 難 | 70 | 64 | |||
数学ⅡB | 並 | 51 | 73 | |||
英語 | 並 | 149 | 157 | |||
政治経済 | やや難 | 58 | 63 | |||
物理Ⅰ | やや難 | 68 | 82 | |||
化学Ⅰ | 並 | 65 | 89 | |||
合計 | 579 | 653 |
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このため、次男の仲間は軒並み“撃沈”状態だったらしく、また半田東高校のトップ層も苦しい展開で、やむなく志望校の見直しをしたとのこと。その中で、次男は余裕しゃくしゃくだった。
(仲間) 何で長坂は、そんなに出来が良かったんだ。
(仲間) お前くらいだよ。目標校を変えないのは。。
(次男) たまたま良かっただけ。(微かな笑顔)
こんな話を私に得意げに言うので、
(私) 本当のこと言えないしなぁ。言ったら周りが可哀想だ。
(次男) そうだね。 (苦笑い)
(私) いいな お前は。エンピツ転がしの才能があるから。
(次男) ちげーし。実力だし!
(私) そうか、そうか・・・
センター試験が予定通りだった者には平和なひと時であり、悪かったに者には“事実を受け入れ目標を変更する辛い時間“である。やがて予備校から志望校別の合否ランクが届いた。
前期 | 後期 | |||||||
大学名 | 判定 | 大学名 | 判定 | 試験科目(配点) | ||||
三重大 | A | 三重大 | C | 物理Ⅱ(350),センター(550) | ||||
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富山大 | A | 富山大 | A | 無、センターのみ | ||||
山梨大 | A | 山梨大 | B | 無、センターのみ | ||||
信州大 | A | 信州大 | A | 数学・理科(400)、センター(800) | ||||
豊橋技科大 | A | |||||||
静岡大 | B |
表が次男の合格ランクである。模試で一度も取っていない三重大学が “A”であり、他の志望校として考えた大学も軒並みAであった。高専から3年時へ編入する豊橋技科大もランクAである。これだけ立派だと、”もうちょっと上が狙えるのでは。。。“とスケベ根性が出てしまうが、次男は至って冷静だった。
(私) ところでお前、第一希望の三重大がランクAだから、もちろん前期・後期とも三重大でいいよな。
(次男) いやぁ。。。前期は三重大だが、後期は考える。
(私) 考えるってお前、“俺は三重受かったら十分”と言ったじゃないか。後期でもランクCだ。2回受ければどちらかは絶対受かる。そうだろう!
(次男) そうかも知れんが、せっかくなので後期はランクAの大学を受けることで安心したい。
(私) はっ? お前が以前 もし三重落ちたら浪人しても良いとで言っていたじゃないか。今さら。。何かあったのか。
(次男) センター試験が出来たので、これを使って確認に国公立に合格したい。
(私) 良し、分かった。お前がそう言うなら、まだ願書提出までに時間があるので検討したい大学を言ってみろ。 願書は1部500円で3日もあれば届く。大学案内を見てから考えろ。
(次男) ありがとう。じゃ、信州大学・富山大学・・・・
私は次男のいう全ての大学と、念のために(私の興味が半分以上)琉球大学・広島大学を取り寄せた。全部で10大学 合計5,000円掛かってしまった。
そして、2次試験の内容を調べると(上表)後期試験の欄の如く、それぞれ特徴があるのが分かった。
そして一週間後
(次男) 俺 富山大学を受けようと思う。
(私) 何でまた? お前。。。 “俺は寒いところは嫌いだ”とあれだけ言ってだじゃないか。(写真は冬の白川郷)
(次男) だって。。。
(私) だって、なんだ。
(次男) 富山は仲間の1人が前期を受けるし。。どうせなら仲間がいるところがいい。それと、富山は後期試験がない。センターのみだ。それにランクAだし。
(私) 本当か、それ。。
(次男) ・・・・・
(私) へぇーそうなんだ。知らんかった。
(次男) たとえ前期で三重落ちても、確実に後期は受かるはず。
(私) 浪人が前期の滑り止めで流れてこないかな? ランクAでも。。
(次男) それは心配と言えば心配。三重大のランクCが名大・名工大の滑り止めだと思うけど、たぶん富山はOKじゃないの。
(私) もし後期富山も落ちたらどうする?
(次男) 私立は別として、その時は浪人する。
(私) よし、分かった。 じゃ、そうしろ。
まぁ、その前に前期の三重大に全力投球だな。
(次男) うん。
(私) 2次試験でもエンピツ転がしが出るといいな。。
(次男) うるせーし(うるさい)。
このような長い会話の末、前期:三重大、後期:富山大で決まった。(写真は富山大学)
前にも書いたが、金(大金)を払うのは親だから、一応 親に了解してもらわないといけない。子供は子供なりに精一杯考えての結論だろう。先のことは分からないし、浪人して成績が上がる保障も無い。
願書提出期間は一週間あるのだけど、次男は決めたら迷わない性格のため開始2日目にさっさと提出した。私なんか“ひょっとして”を心配して期間の後半にだすが。。。こういうところは立派である。
かくして、最終決戦の火ぶたが切って落とされたのである。
ただし、2次試験までは一か月近くあるが、この間に私立大学の試験が目白押しとなる。
続く
プラス1(次男が志望した大学紹介) 豊橋技術科学大学入学式 式辞(榊佳之学長)
・・・天然資源の乏しい日本が活力を保ち続けるには科学や技術の力が不可欠であり、技術科学を志す皆さんは将来の日本を担う人材として、その成長が社会からも大いに期待されているのです。本学も皆さんを高度な科学の上に立って、新しい技術を開発できる高度な創造的、指導的人材として世に送り出すことを使命と考えています。・・・先ず、真の技術・科学の専門家となるには、専門分野の最先端の技術や科学に取り組むことは重要ですが、その前にその最先端の技術や科学の基礎となった学問、理論などをしっかり身につけておくことが重要です。・・技術・科学の専門家を目指す皆さんに求められるのは、自らの専門領域が社会とどのように関わっているのか或いは関わることができるのか、幅広い視点で自らの専門領域を見る力、それを技術開発などに生かす力を養うことです。これは、最近よくその重要性が指摘されるエンジニアリング・デザインの考え方に繋がるものです。
・・「幅広い視野を養うことが大切」といっても特別な教科書や勉強方法があるわけではありません。
もう一度繰り返しますと、皆さんがこれから専門家として大きく育つために、本学で専門科目だけでなく、その基礎となる学問や理論をしっかり身につけること、自らの専門を社会に生かす幅広いものの見方を養うこと、そしてグローバル社会に対応できる語学力、国際感覚を養うこと、以上を心に留めて充実した学園生活を送り、将来日本を背負う人材に育ってくれることを祈念して私のお祝いの言葉とします。皆さん、おめでとう! (写真は技科大)
榊佳之学長のお父さんは、豊田高専 2代目校長の榊米一郎さんである。私が2年〜4年まで3年間在籍し 技科大開学とともに初代 学長として赴任された。だから親子で学長をされているというアカデミックな家系なのだ。勿論、当時の私は校長と一生徒の関係なので直接話をしたことなどなかったが、とても静かで品のある人だったように思う(写真は榊米一郎校長)。
さて、技科大は私が卒業する時に開学した(1978)。だから同期の仲間も数名入学している。もちろん、私の成績は後ろから数えて3本の指に入っていたので、受かる訳もなく行く予定などなかった。それが期せずして一浪して千葉大学に編入した訳だが、実は技科大も合格した。仲間は、当然 私が入学してくると思ったらしいが、私は迷わず? 千葉大に行くことにした。私の中の比較として
① 勉強する環境は技科大の方が良いし、何と言っても高専生に親切である。(そのために作った)
② 千葉大にも仲間が2名現役入学しており、“東京が近いし良いぞ!”と誘われていた。加えて、男女共学で女性も多く 楽しいぞと。。
*最終的には、千葉大学の試験を受け、キャンパスを歩いた時、
“何となく、俺の行く大学だ!”と感じた。
〜写真は千葉大学図書館 (ここで朝から晩まで勉強していた。。ホント!)〜
以前にも書いたが、結局1校しか行けないので、もし“技科大に行っていたら” 当然 今と違った人生があったと思う。勿論、今でも千葉大に行って良かったと思っている。何が良かったのか。。
“東京は大きい。千葉大は大きい。俺が叫んだところで振り向きもされない。自分はなんて小さな人間なんだ。今まで田舎の大将気取りで。。努力すればできないことはないと思っていたが、できることは限られている。”
こんな気持ちにさせてくれた。
いい先生にも巡り会えた。S教授は名大出身者で馬があったし、T教授は岐阜出身で方言丸出しだった。K教授は世界的に有名な。。。数え上げたらキリがない。
自分の殻を破ってくれたのが千葉大学であった。