会長の”次男の大学受験” 第1章 全ては”まさか”から始まった。 3
高校受験 その3
2010年3月11日(木) 次男にとって初めての受験である。小・中学校にテストは沢山あったが、合格・不合格を左右するものではない。通知表の世界である。しかし、今回は違う。生活も含めて、その後の人生に大きく左右すると言っても過言ではない。。。。と私を含めた大人は考えるのだが、本人はそうではなかった。受験校を決めた後も、一向に勉強しなかったし 気合も感じられなかった。
〜写真は半田東高校〜
最近になって思うことだか、成績が真ん中のレベルの生徒というのは、次男のような生活習慣なのだろう。それを、長男(刈谷高校)・昔の私?と“同じモノサシ”で計ること自体が道理に合わないのかもしれない。
さて、まずはA日程の“半田東”である。次男は緊張した様子もなく、中学校への通学と同じように自転車で試験会場に向かった。どうせ、落ちる“当て馬”学校だから期待も無ければ、不安も無いのかもしれない。
(次男) じゃ、行ってくるわ。
(私) 頑張ってこいよ。
(次男) うーーん
そして、その日の夕方
(私) どうだった? できたか。
(次男) できなかった。
(私) そうか。仕方ないな。明日 新聞に問題と正解が載るので採点してみろよ。
(次男) やだよ。面倒くさい。
(私) じゃぁ、来週始まる B日程の勉強でもしろよ。
(次男) ・・・
2010年3月15日(月) いよいよ本命の“阿久比”である。ここは自転車で50分掛かるので、早く出て行かないといけない。
(私) 最後だから頑張れよ。
(次男) うーーん。
と言って、さっさと出ていった。長く居れば、私や我妻がナンダ・カンダと小言を言うのが分かっていたのだろう。
そして、夕方。
(私) 今度はどうだった?
(次男) できなかった。
(私) お前なぁ。勉強しろと言った時にやらないからこうなるんだ。
(次男) ・・・(苦笑い)
(私) それで、受かりそうか?
(次男) そんなこと。分かる訳ないだろう。 (私) そりゃ、そうだけど。 何とか“阿久比”には受かって欲しいな。星城高校では、学費が掛かって大変だ。
(次男) 分かってるって。
子供というのは、親(私)の言うことの殆どは聞かないか反対するのだが、“金”に関しては、正直に受け入れてしまう。だから、冗談半分(気合を入れるため)で
“我が家には私立大学に行かせる金はない。”
などと、口走ってしまうと本気にする。少なくとも40年前の私はそうだった。当時の我が家もご多忙に漏れず貧乏だったし、まして親戚で大学に行った人などいなかったから、親父が
“お前を大学に行かせる余裕はないから、高専を受けてみろ”
の一言は絶対だった。我々の時代、高専志願の何割かは私と同じ境遇だったと思う。それでも大学の工学部と同じ勉強をさせてもらえる。それも安く。 後は(就職後)、本人がどれだけ頑張るかである。
〜写真は高専の桜並木・・今日は満開かな?〜
貧乏やその他の逆境をバネにして頑張る子供もいるが、せいぜい100人に数人程度(だからニュースになる)。多くはやる気を失って世の中に埋もれてしまうようである。
ちょっと昔話になってしまったが、こうして次男の高校受験は終わった。一言で言えば、
「実力通りの結果」
そして、合格発表を迎えることになった。
続く