会長の”次男の大学受験”                                                                第3章  出陣8

早稲田大学 2
12月になり高校での父兄受験相談会が予定されていた。次男は母親との同席を望んでいたが、入学以来 学校すら足を運んでいないこともあり、今回は私が出席したいと言い出した。
(次男)  お父さん。変なこと聞かないでね。
(私)   変なことって何だ。
(次男)  “早稲田合格可能性はあるか。。”とかさぁ。
(私)   分かったわ。聞かないよ。聞きたいけど。。。

そして、先生・私・次男の3者面談の日。面談の前から満足感というか優越感で一杯だった。何しろ入学時に最下位の次男が、今やクラス1番である。親なら誰でも嬉しいもの。本当は、早稲田のことよりも、
“息子も良く頑張ってるでしょう!”と言いたかった。


(先生)  ところで希望する大学は。
(次男)  国立は三重大です。
(先生)  ・・・(資料を見ながら) 良く頑張ってるね。
    ここぞとばかりに話そうした時、横で次男の手が私の体を押したので思い留まった。
(先生)  私立は。。。
(次男)  名城と立命と豊田工大です。
(先生)  これは。。。と早稲田を指さした時、
(私)   ・・・(息子の言葉に期待して顔を見た)
(次男)  記念受験です。
(先生)  記念受験ですか。。。
     ~合否は別として受験することを“記念受験”と呼ぶらしい~
  こうして、波風を立てる前に父兄面談は終了した。終わって廊下に出た瞬間
(次男) お父さん。もう!
(私)  お前の言う通り、早稲田のことは聞かなかったじゃないか。
(次男) ・・・疲れるわ! 何で子供が親の心配をせにゃいかん!


早稲田の受験が近づいてきたある日、息子に告げたことがある。

(私)   お前さぁ。父さんが何で早稲田を受けて欲しいかわかるか?
(次男)  兄ちゃんが早慶両方受かって早稲田を蹴ったので、俺に行かせたいんでしょ。
(私)   もちろん、それもあるけど。早稲田は将来日本を背負っていく人間が沢山受験する。お前には、日本を背負う人間がどういう奴らなのか見て欲しいんだ
(次男)  ・・・・
(私)   その機会は、一年に1日 この受験日しかない。大学も受験生も一番真剣な日なんだ。しっかり見て来い。
(次男)  ・・・・・

 この時だけは、次男も無口であった。少しは親の気持ちが理解できたのかも知れない。

名称 月額 大学まで 備考
田無寮 5万円 電車(30分) 食事なし
和敬塾 9.5万円 徒歩 朝夕食
その他(寮) 9万円 電車 朝夕食

 さて、早稲田に行かせるには相当な金が掛かる。入学金20万円、年間授業料158万円は他の私立並みとして、東京に住むには費用がかさむ。表が寮生活した時の試算である。田無(たなし)寮と言えば、ノーベル文学賞候補と目された村上春樹さんも住んでいたらしい。(写真は村上春樹
また、和敬塾学生寮は大学から徒歩圏内であるし首都圏の大学および30か国を超える留学生が共に暮らすと書いてある。愛知県の片田舎人間が大きな世界を知るには丁度良い。思いあまって、早稲田大学の問い合わせ先に幾度が電話した。
 (私)   寮を希望して入れなかったら、アパートを探さないといけないのか?
 (大学)  寮は複数あるので、第1希望がダメでもどこかに入れています。
 (私)   親が上京する際、寮での宿泊は可能か。
 (大学)  寮の生い立ち上、それはできません。 
 (私)   事前に見学することはできるか。
 (大学)  指定日があるので、その日じっくり見学できますが、それ以外は外観しか見学できません。
    ・・・・ 
たとえ寮生活をした場合でも月10万円は必要であろう。自分の小遣いはバイトで稼ぐとしても、奨学金を貰わないと学費は払えない。そこで、奨学金について
1.返済不要(贈呈)
2.無利子
について調べたが、上記1,2はかなり難しく、3%近い利子“国の教育ローン”の世話になるかなと眺めていたら、家族から
“そんなこと、合格してからでも間に合うでしょ!”
と叱られた。しかし、如何に早く条件の良いもの探して申し込むことも必要だと分かった。子供から“どうしても行きたい!”と言われれば、“何とかしてやりたい”と親は考えるが、経済的負担の大きいことが本当に良く分かった。
東京は金が掛かる。


2月15日(金)
 いよいよ東京に行く日がやってきた。明日が受験日である。
(私)  合格しろとは言わんが、どういう奴が受けるかしっかり見てこい。
(次男) ・・・・(苦笑い)
(私)  ところでホテル・大学の行き方は分かってるだろうな。
(次男) 父さんが書いたメモ通りに行く。
(私)  お前なぁ。少しは自分で考えろ。
(次男)  ・・・・
(私)  明日は土曜日だから通勤ラッシュは無いと思うが、確認のために大学へ見学に行け。それと、学校の先生や仲間に早稲田グッズの土産でも買ってこいよ。(写真は早稲田カラーのポロシャツ)
(次男)  えぇ?  やだよ。
(私)   いいじゃないか。もう皆 お前が早稲田受けるってこと知ってるだろう?
(次男)  知ってる。どうやら理系は俺だけらしい。(ちょっと誇らしげだった)
(私)   だったら買ってこいよ。
(次男) ・・・考えておく。
(私)   前にも言ったが、新幹線の中で化学Ⅱの勉強しておけよ。ひょっとして出るかもしれんだろ。
(次男) 分かった。分かった。
こうして次男は早稲田受験に向かった。



そして、試験が終わっ日の夜10時ごろに帰宅した。
(次男)  英語の試験にはびっくりした。
(私)   何が。。。
(次男)  全部 英語で書いてあった。質問の意味も分からんかった。
(私)   そうか。。そんなに難しかったか。
(次男)  全く歯がたたんかった。
(私)   他に、・・・物理はどうだ。
(次男)  うーん。4時間くらいあったら出来たかもしれん。90分じゃとても間に合わない。
(私)   ご苦労だった。ところで、受けに来た奴は賢そうだったろう。日本を背負っていく人間だ。
(次男)  いやぁ、対したことなかった。俺と全く変わらない。
(私)   へーぇ。そうなんだ。
(次男)  それと、東京は嫌いだったけど、行ってみて嫌いじゃなくなった。
(私)   そうか、それは良かった。父さんは嬉しい。
(次男)  それにしてもツヨ君(長男の呼び名)は凄い。あんな問題がスラスラ解けるなんて。。。
(私)   兄ちゃんは一浪しての合格だからな。お前はまだ現役だ。浪人したらできるかもわからんぞ。
(次男)  いやぁ、俺はいい。あんな問題 解きたくない。
(私)   一応 合格するかもわからんから、発表日にはチェックしろよ。
(次男)  受かるわけない。
(私)   そんなことはわからん。お前にはエンピツ転がしの才能がある。
(次男)  ・・・そんなレベルじゃないよ。

冷めた次男の顔が印象的だった。


次男は、かなりのカルチャーショックを受けたようだ。
一方、半田東からは次男しか受けなかったようで、仲間からは
“どうだ、早稲田って”
“東京は。。”と質問されたらしい。
文字通り、“記念受験”となった。


2月26日(火)
今日は合格発表日である。思えば高校入試の時も、“まさか”の合格で始まったので
私には、かなりの期待があった。ノー天気な私は
“次男も早稲田か。。。俺の夢もこれで叶うか。。”


その日の夕方 帰宅すると郵便による合格通知書は届いていなかった。
“やっぱ、ダメだったか。。。”
そして、次男に聞いた。
(私)   おい、早稲田はどうだった?
(次男)  まだ、調べてない。
(私)   お前 どうせ暇なんだからすぐ調べれよ。
(次男)  やる。

“やる”と言ったなり翌日まで反故にされた。この日も合格通知書は届かなかった。
(私) お前なぁ 受かってるかもしれんだろう。
(次男) 分かった。

そして、不合格だったと知らせれた。
あっけない幕切れだった

 
これで 箱根駅伝芦ノ湖見学もなくなった。
(写真は“山の神”東洋大学:柏原選手)

 妻は私に言った。
“今まで兄ちゃんとは喧嘩ばかりしていたが、早稲田の受験で兄は凄いと思っただけでも良かった”


 

 最終的に、三重大に行くことになってから次男に聞いたことがある。
(私) 父さんは、早稲田に合格するとマジで思っていた。高校入試の“まさか”の合格やセンター試験のエンピツ転がしが出ると思ってた。
(次男)  俺は受ける前から、合格するなんて全く思ってなかった。
(私)   だって、お前には。。。
(次男)  半田東高校合格とはレベルが違う。早稲田に合格するのは、俺の成績で“旭丘高校”に合格するのと同じことだよ。マグレじゃ無理だ。
(私)  うーん。そうかも知れんな。いやぁ父さんもちょっと期待しすぎた。

私の2年越しの夢は、こうして終わりを告げたのである。
続く



プラス1 早稲田大学入学式 式辞(鎌田 総長)
 1882年10月21日に、本学の前身・東京専門学校が早稲田の地で開校式を行ったときの入学者は78名でありました。その後、さまざまな形での存続の危機もありましたが、130年余りの間に、本学がここまで大きく発展することができた背景としては第1に、例えば、草創期の本学において、坪内逍遙を中心として、夏目漱石小泉八雲森鴎外などが教鞭をとっていたことにも見られるように、一貫して、学内外の最高水準の講師陣が熱のこもった授業を行ってきたことがあり、第2には、そうした講師陣の熱意に応える形で、個性豊かで進取の精神に満ちあふれた多様な人材が日本各地から、さらには世界各地から集い、互いに切磋琢磨する中で、幅広い教養、深い専門的知見そして豊かな人間性を身につけ、卒業後に、政治・経済・言論・芸術・スポーツなど、ありとあらゆる分野で大いに活躍をし、本学の評価を高めてきたことがあると考えています。・・・学生時代は、自由な立場で自分の生き方を模索し、自分なりの価値観を形成することのできる人生で最も大切な、そしておそらくは最後の時期であり、また、生涯の友を得ることのできる貴重な時期でもあります。しかし、後になってみれば、あっという間に通り過ぎてしまう極めて短い期間でもあります。これから過ごす大学生活が、皆さんの人生にとって最も意義深い4年間であったと思い起こすことができるよう、今この瞬間から、最大限の努力を開始して下さい。 大隈重信も、深く学ぶことこそが飛躍の源泉であることを強調しています。 新入生の皆さん、早稲田大学教旨に謳われている建学の精神をかみしめて、自ら信ずるところに従って、できるだけ多くのことがらに果敢にチャレンジし、幅広く深い教養と豊かな人間性を育んでください。 皆さんが、本学卒業後に、世界の平和と人類の幸福の実現に向けた人々の力強い歩みの先頭に立ってくれることを心から期待して、私からのお祝いと歓迎の挨拶とさせていただきます。


⇒残念ながら私の夢は叶わなかった。もし次男が合格していれば、入学式に同行したかもしれない。ただ、この年になって“夢を見させてくれた”ことはとても幸せだった
それにしても、前回書いたように長男は夢が叶いすぎて、もったいなかったし、次男は最後まで届きもしなかった 。
ほどほどの夢とか、目標はないものかなと神様を恨んでしまう。せめて、兄弟で合格をシェアできるとか。。。


今度は私が定年になってからチャレンジするかな?  ナンチャッテ。