会長の”両手に花”

 以前 岩田君のOB通信で ”東京駅”の話をしていたが、今日見に行ってきた。平日午前中&晴天のお陰で素晴らしい建物を目にした。駅の周りは高層ビルが立ち並んでいたが、調和がとれていた。その後、丸の内高層ビルから皇居をみたが、これがまた美しかった。


 さて、先週行った山形で密度の濃い一日を過ごしたので紹介する。

 12月ともなると東北 鶴岡の寒さは格別で、市内から30分も行くと吹雪であった。古い話になるが、私が現役の頃は佐世保・久留米そして鶴岡高専が全国の常連だったので、どんな街なのか興味があったが雪で何も見えなかった。
 「日頃の行いが悪いのかな」
と諦めて隣の酒田市に向かった。訪問して知ったことだが、酒田は江戸時代(1672年)に河村瑞賢が西回り航路を開き、最上川を経由して紅花・米などを大阪・江戸に運ぶための港として、「西の堺、東の酒田」と言われるほどに繁栄した街。出羽の紅花は商品作物として有名で、松尾芭蕉も「奥の細道」の宿泊地として立ち寄っている。
~写真は観光マップに掲載される“山居倉庫”~

 帰りの飛行機まで時間があったので、観光地の1つである舞娘茶屋 料亭「相馬屋」に行くことにした。
 「酒田で舞妓?」
 最初は不思議に思ったが、運送業を通して京都の文化が運ばれたらしく、今も数人の舞妓が現役で働いている。ここ相馬屋は毎日観光者向けに踊りを披露してくれる(1,000円/人)。この日は、三味線を弾く女将さんと2名の舞妓さんの3名に対し、見物客は私一人の貸切状態であった。


 踊りが終わると記念撮影をしてくれた。写真がそれで、まさしく
「両手に花」

 京都なら分かるが、まさか酒田で舞妓とは?
2人から、
「こんな日は稀ですね。」
 「日頃の行いがよかったからですよ。」
と言われる始末。
「世の中 、分からないもんだなぁ」


そして空港へ。
欠航が心配されるほどの強風だったが、予定通りのフライトで安心した。空席が全く無い満員御礼で、心は既に羽田にあった17時半ころ、
「ちょっと体がフラフラするな。疲れたかな?」
と思っていると、周りの声で地震だと分かった。このあとグラグラと長い時間続いた。山形は震度4だった。滑走路の安全点検がすぐに行われた。ニュースで新幹線は止まっていると報道した。羽田は大丈夫だろうか、津波は来ないか?最悪東京に宿泊しないといけない。。。
心配ごとが次々に浮かんできたが、フタを開けてみれば飛行機も新幹線も何事もなかったように定刻に動いた。
「世の中 、分からないもんだなぁ」

 密度の濃い一日?であったが、一番の思いでは,,
「両手に花」