会長の”Imadokiの大学受験(京へ)” 自分の人生は、自分が主人公 その1
その1 私立大学の決定
2011年 正月
いよいよ2回目の受験がやってきた。一年間の浪人生活も、合格してこそ報われるというもの。京大第一志望という思いを見失うことなくセンター試験を迎えることができそうだ。本人の努力か、予備校が素晴らしかったのか。。。
気持ちを新たにしている正月に、息子の気持ちを確認した。昨年は現役だったので、
①何としても京大に行く。
②中途半端な大学に行くくらいなら浪人して頑張る。
と強気な気持ちで正月を過ごしていたのを思い出す。
さて、息子が言ったことは、
「京大志望だけど、とにかく大学生になりたい。」
ちょっと意外だった。大学生になりたいとは、裏を返せば“浪人はもういやだ!”となる。それだけ辛い毎日だったのだろうか。
会話は続いた。
(私) 「とにかく京大は受けること」
(息子) センター試験が全てだ。浪人生はナーバスなんだ。
(私) だったら、頑張れよ!
(息子) そりゃ、頑張るよ!
これ以上、京大の話しはしなかった。
次に私立大学選びになった。予備校からは、チャレンジ校(1〜2校)、実力相当校(2〜3校)、すべり止め校(1〜2校)と言われていたが、
(私) 私立は自分の行きたいところを1校、自宅通学できるところ1校、そして、早稲田・慶応なら受けても良い。
(息子) 早慶は受けても、たぶん。。。
(私) 受けることで、京大受験に悪影響はあるのか?
(息子) それは無いけど、東京は生活費が高いんじゃないの。
(私) いいんだ。早慶受かったら、借金してでも卒業させてやる。
(息子) じゃ、受けてみるわ。
息子は、早慶なんて受かるハズはないと思っていたらしく、場慣れになればという軽い気持ちだったようだ。一方の私は、授業料・生活費など借金しなくても何とかなると思っていた。(後で分かったが東京は高い!)
実は息子に早慶(特に早稲田)を受けて欲しくて、前年10月に都内のビジネスホテルを3泊分予約していた。(早慶受験日は連続している)
“自分(息子)の人生は、自分が主人公”と言いながら、まるで自分も主人公のつもりでいたのかもしれない。
数日後、息子は言った。
行きたいところは“同志社大学”。自宅通学は“南山大学”
(私) やはり京都か、そんなに京都が良いのか。
(息子) うん。本当は立命館も受けたいが、父さんが1校だけにしろと言ったので。。
(私) そーか。。
息子が可哀想な気がしたが、ここはぐっとこらえた。国公立も3校まで受験できるし、所詮1校しか行けない。 (*写真は同志社大学)
(私) 南山は文系だけど、良いのか。
(息子) 毛色の変わったところもいいかなと思って。南山は就職に強いと言うし、センター試験利用で受験できる。
(私) 名古屋には、名城大・愛工大 就職に強い豊田工大など、工学部は沢山あるぞ。
(息子)正直、そこまで調べてないんだ。ちょっと予備校に聞いてみる。
今年も京都以外に興味がないようだ。
数日後 息子から、
「やはり南山にする」
と返事があった。「すべり止めは一校」と決めたが、まさか文系の南山とは。。。、スベリ止め理系大学も必要では。。。自分で言っておきながら正直不安であった。
ただ息子もシタタカで、同志社に関しては、「一般試験」と「センター利用」の2つ受けたいと言った。受験費用35,000円は余分に掛かるが、早慶を無理やり?受けさせるのだから快く同意した。なお南山の申込みはセンター試験後でも間に合うので、一般入試・センター利用の出願は、結果を待って決めることにした。
息子の私立受験校
分類 | 大学名 | 大学名 |
---|---|---|
チャレンジ校 | 早稲田 | 慶応 |
実力相当校 | 同志社 | 同志社(セ) |
すべり止め | 南山 |