“いまどき”の大学受験(最終章)                                              賽(サイ)は投げられた その1

その1 同志社大学(一般試験)

2月4日
 1月30日に国公立大の受験を決定し願書を提出したが、ゆっくりする暇もなく最初の試験 (同志社大学)が始まった。受験を“戦争”に例えるなら、戦略(どこを攻めるか)、戦術(どう攻めるか)そして、戦闘(実際に戦う)の3つがある。どれだけシナリオ(戦略・戦術)が良くても、戦わないといけない。 戦わずして勝つことは、受験ではありえない。
 さて、息子はいつものように起きて、予備校に行くが如く会場である日本ガイシスポーツプラザへと向かった。ここはJR笠寺駅から徒歩3分と近く、開始30分前(9:30)に到着するように家を出ていった。
 同志社は、“私立は一校だけ”という制約の中で息子が選んだ大学だ。何としても合格しないといけない。
 「大学生になりたい。そして京都に住みたい」

そんな気持ちが伝わってくるようだ。

科目 時間帯 正味
英語 10:00〜11:40 100分
物理 12:50〜14:05 75分
数学 14:50〜16:30 100分

やがて、仕事中に突然携帯がなった。息子からだ。

(息子) 「JR笠寺が“普通”しか止まらないことを,電車に乗るまで知らなかった。このまま金山駅まで行って普通で戻ってくると、10時ギリギリにしか着けない。どうしよう!」

私も焦った。初回からつまずいてしまった。それも試験に失敗する以前の問題で。。本来なら、
“馬鹿やろう。なんでそんなこと調べなかったんだ!”
と言いたいが、そんなことをしたら、ますます息子が舞い上がってしまう。

(私)  「そうか、今更しょうがない。金山からタクシーに乗るという方法もあるが、渋滞すると間に合わない。電車が金山駅に着くまでに、良い方法があるか調べてみろ。」
(息子) 「分かった。」


この間 約10分くらいだったが、私には長い時間だった。そして、電話が鳴った。
(息子) 「やっぱり、各駅停車で戻る方法しかない。駅に着いたら走って会場までいく。」
(私)  「そうだな。一応 会場に電話して事情を話しておけ」
(息子) 「分かった。しかし連絡先が分からん」
(私)  「受験票に書いてあるだろう」
(息子) 「あーぁ、あった!」

それ以降、電話は掛かってこなかった。
“どうなったかくらい試験の休憩時間に連絡しろよな。”


腹もたったが、“知らせが無いのは無事な証拠” 親子とはそんなものだろうか。陸上競技で言えば、アクシデントでコール時間ギリギリに到着し、準備運動も十分できないまま試合に臨むようなもの。精神的にもマイナスである。私は、息子が実力を発揮できない精神状態でなければ良いがと願った。

 やがて夕方、何事もなかったように帰宅すると、すぐに予備校のHPを覗き解答速報を調べだした。“いまどき”の大学受験は、その日の内に予備校の努力?で試験問題の正解がわかる。どこが早く・正確に模範解答をだすかは予備校選定の決め手の1つらしい。

朝のドタバタで、試験の出来を聞くことに多少の戸惑いを感じながらも質問した。 
(私)  どうだった。
(息子) 結構できた。特に数学は完璧だ!。。と思ったが、答え合わせをしてみると計算間違いがある。
(私)  そうか。。
   ・・・

息子の試験結果 (合格通知書に点数が記載されている)

配点 結果 得点率
英語 200 131
物理 150 87  
数学 200 160
550 378 69%
合格最低点 300 55%

今日は本番である。「よかったな」とも「仕方ないな」とも言えない。本当は、

「手ごたえはどうだ。合格できそうか?」

と聞きたいところであるが、野暮というもの。

(私)  試験開始に間に合ったか?
(息子) 駅に降りたら、俺と同じ電車で受けに来た奴が結構いたので安心した。
(私)  そうか。それは良かったな。次の試験はよく調べてから行けよ。
(息子) そうするよ。
     ・・・
やがて息子が言った。
 「発表は2月15日だから早慶の受験と重なる。受かっても落ちても連絡しないでくれ!」

 同志社の試験が終わると、息子は予備校の「直前講習」を受けていた。京大“現代文”とか“化学”である。試験と試験の間に、受験生は何を思い・どう行動しているのだろう。第一志望合格に向け最後の仕上げをやり、私立受験は、場慣れ・実践演習が理想だろうが、人間には感情がある。
この日から結果発表の15日までが、私には本当に長かった。滑り止めの南山だって、センター試験利用の10名枠だ。確実とは言えない。もし同志社に落ちたら。。いくところが無い。

 息子が悪い冗談を言った。
(息子) もし全部落ちたらどうするかなぁ
(私)  そうだなぁ。お前はどうしたい。
(息子) 専門学校しかないよな。
(私)  2浪はしないのか。
(息子) それだけはイヤだ。
(私)  そんなにイヤか
(息子) イヤだ。
(私)  勉強は結構楽しいぞ
(息子) 俺も勉強は好きだけど。中途半端はいかん。
     ・・・・


 こうして、長く辛い毎日が過ぎていった。


2月15日(火)
 郵便受けに速達が届いていた。
   「格通知書  同志社大学長 八田英二」
(写真は同志社 一般入試の合格書)

安堵の気持ちで一杯だった。
浪人して同志社に落ちたら、息子が可愛そうでならないが、まずは良かった。
 翌日 早慶受験を終えて帰った息子に、合格通知を見せた。息子が言った言葉が今でも忘れられない。
 「これで大学生になれる。」

今から思えば、あの各駅停車アクシデントが“どん底”で、これをクリアできて試験に臨めたことで、流れが変わったような気がしてくる。

そして、ここから息子の快進撃が始まることになる。

続く


プラス1 八田学長のことば(合格に寄せて  抜粋)
 難関を突破し、見事に合格通知書を手にされた皆さんのこれまでの勉学努力に深く敬意を表します。
 大学の果たすべき使命は2つあります。ひとつは学術技芸の知識の享受です。現代の学問体系は高度化・多様化しています。本学では、質の高いサービスの提供に努めています。
 もうひとつの指名は、人間性の涵養(かんよう)、人格陶冶(とうや)です。大学で身に付けた知識をどのように生かすか、社会で生きるうえで必要な知恵を養わなければなりません。