会長の”今時の大学受験(後編)”                                             都(みやこ)は遠く  その1

  息子はセンター模擬試験の際、いつも良い結果を教えてくれた。センターは2次試験に比べれば難度が低いから、数を重ねれば良い点も取れる。最高点?を合計して、
「これで京大もB判定だ。何とかなりそうだ。」
と言って期待を持たせてくれた。私も受験の仕組みを理解していなかったから、
「そうか、まぁ頑張れ!」
と励ました。一方で
「ところで、京大2次対応は良いのか?」
と聞くと、
「まずはセンターの点数だ。2次はそれから。。」
と話してくれた。とにかく勉強意欲は旺盛だった。ただテレビ等の誘惑に負けやすい自分の性格を知っていて、勉強の場所はいつも塾・図書館・スタバ。。。だった。冬休みを前にしたある日、

「冬休みに京大2次対策を集中的に勉強したいが、正月は遊んじゃいそうだなぁ。」

と言った。2次対応もやってはいたが、何もかも中途半端というか、食べかけ状態で消化不良を起こしていたようだ。多くの進学校の生徒は、学校のカリキュラムを消化するのでさえ大変な上、予備校にも通っている。なぜかと言えば、周りと同じことをしていないと不安で仕方ないからだ。(同じレールの同じ電車に乗る)。だから自分を見失ってしまうこともある。それでも息子の唯一支えは
「京都に行きたい!」

 息子の心配を解決するため親の出番である。年末・年始にビジネスホテルが空いていることは予想できたので、刈谷駅前のホテルを探して2泊3日を2回予約した。一泊6,000円程度のお値打ち料金だった。

「一日の半分は勉強しろ」
と釘をさした。大晦日〜2日、4日〜6日の自主勉強合宿?である。どれだけ勉強できたかは不明だが、静かな環境だったと息子は語った。我が家の元旦は全員揃ってお雑煮を食べるのが常だが、異例となった。

「結構いけるかもしれない!」
そんな気持ちになったのは親の私だけだろうか。。。


そしてセンター試験本番。場所は愛知教育大学

1月17日(土) 世界史・国語・英語
息子だけでなく私までが緊張していた。真冬の休日は布団の中にいるのだが、当然の如く玄関で見送ってしまった。

「何はともあれ、道中無事で受験会場まで行ける様に。」
全くもって親バカである。

夕方に普段通りの表情で返ってきた。聞きたいことは山ほどあったが、明日の試験も控えている。表情からして駄目だったという感じではなさそうだ。
(長年親子をやっていれば、何となく分かる)


1月18日(日) 数学Ⅰ・数学Ⅱ・物理・化学
 「予備校(現役時代は東進に通っていた)で自己採点するから遅くなる」と言って出かけていった。やがて22時過ぎに帰宅すると、開口一番
 「数学Ⅰで撃沈した。だめだ!」


 聞けば予期せぬ問題がでたらしく、少なくとも刈谷高校 東進予備校グループは全滅らしい。仲間の中には、悔しくて泣いた子もいたとのこと。数学Ⅰと言えば、およそ難関大学の理系を目指す生徒なら最も簡単な分野のハズで、勉強しなくても解けそうなものだが。。。
 既述したように受験は「皿回し」と同じで、より沢山の受験科目をこなす訳だから、数学に関してはガチンコ勝負の2次試験対応に時間を投入する。
背伸びして京大を目指す息子にしてみれば、「まさかの予選敗退?」の気分であろう。

息子は言った。
「京大は無理だ。諦めた。!」

                                  続く


プラスα 私の記憶にある名大の数学問題(1974 昭和49年)

 一辺が1の正四面体の体積を求めよ

 この問題が本当に存在するのかネット検索したのだが、古すぎて情報がなかった。なぜ覚えているかと言えば、高専1年生(全寮制)の時、中日新聞に掲載される名大の数学問題を多くの先輩が真剣に解いていたからだ。当時は今のように編入試験はなく、大学への門戸は閉ざされていた。おそらく高専に来なければ名大を受験しただろう多くの先輩が、残念がるように挑戦していた。この問題は、1年生の私には解けそうで解けなかった。
何となくホロ苦い青春の思い出である。


お試しあれ!