会長の”イマドキの大学受験”                                                都(みやこ)は遠く  その4

 やっと志望校を決めて出願したわけだが、私は腑に落ちなかった。豊田高専を卒業したから分かるが、機械・電気・土木。。は内容も人種も随分違う。向き不向きがあると思う。それをランクだけで決めるとは。。。
「イマドキの大学受験は そういうものかなぁ..」

 
 私が豊田高専電気科を決めた理由は、「行くんだったら、何となく”電気”かなぁ」であった。これは的を得ていた。“好き”,“何となく”は正解だと思う。(写真は豊田高専

 やがて各大学の出願状況がわかってきた。最近のネット環境は素晴らしく、日替わりで最新情報が把握できるようになっている。一度出願してしまうと変更できないため、多くの受験生は“敵”を眺めながらギリギリに出願するが、息子は受付開始2日目に提出した。これ以上考えても仕方ないと思ったらしい。
ここで気づいたことがある。名大は締め切った段階で、3日間に限り学部の変更ができる。データを見る限り、機械・航空は倍率が高かった。物理工よりも電気よりも! 

私は、この時とばかりに息子に忠告した。
(私) 「おい 今なら間に合う。物理工か電気に変えた方がいい。」
(息子)「いいんだ。どこを受けても同じだ。数学が1問できるか否かの差の方が大きい。受かる時は受かる」
(私) 「お前は、大した差はないと思っているかもしれんが、一度決めてしまうと、学科変更など簡単にできない。変更するのは今しかない。」
(息子) 「面倒くさい。変える気はない。」
結局、私の願いは空しく終わった。


 センター試験から2次試験までは1ヶ月あり、受験生(特に現役)は必死になって勉強するのだが、息子はあの日(センター試験“数学Ⅰ”の失敗)を境に熱が冷めてしまったようだ。塾や学校へは行くものの、「勉強していない」と言う返事が返ってきた。家族の目から見てもそう思える。今から想えば、目標を見失い何をやったら良いか分からなって、結果何もやりたくなくなったようだ。私も励ましの言葉を掛けたつもりであったが、気の利いたアドバイスにはならなかったようだ。 (写真は名大 豊田講堂)

 やがて、名大の受験日となった。
2月25日(水) 英語・物理・化学
2月26日(木) 数学

終わった日、「どうだった?」と聞いたら
「数学の出来次第かな。。。」


との返事だった。
“そうか、息子もいよいよ来年は名大か。。大したもんだ。”

と思った。元来 脳天気な私は、合格かどうか分からないうちから、「合格したら。。。」と考えてしまう。まして“名大”である。合格できれば、地元では「ヒーロー!」だ。そりゃ京大を目指すのは結構なことだが、“合格”は別の話しだ。

 「京大を目指して頑張ったが、目標に届かず“名大”に落ち着いた」
これが、正直なところ私が描いていたストーリーだったかもしれない。
それでいいじゃないか。素晴らしいことだ。

さて、後期は名大よりも難しい阪大で落ち着いたわけであるが、息子に阪大と言った手前、ホテルは新大阪駅前の「ヒルトンホテル」を予約した。アメリカ赴任中に大いに利用したので無料宿泊券があった。本当は海外旅行で使いたかったが、何しろ息子の大勝負である。ここは親として奮発した。
殆どの受験生は後期も出願するが、前期が終われば気が緩み勉強に身が入らないという。しかし2週間ある。前期に誰かが落ちて、その中の誰かが後期に合格するのだ。自分だと思って集中して勉強するか否かは、後期に合格する大きなチャンスである。親の私は
「なぜチャンスだと思って頑張らないんだ!」

と考えてしまう。
が、いずれにしても勉強しなかった。始めは「気分転換でもしろ」と言ったが、あまりに気が抜けていたので、
「おい、高い金(受験料。。。)払ったんだぞ。やる気が無いんだったら止めてしまえ!」
と叱った。


3月6日(金)いよいよ名大の合格発表。本人よりも私の方が心配していた。結果を報告してくれと頼んであったが、連絡がなかった。シビレを切らし娘に連絡すると、
「ダメだった」といった。

そうか、落ちてしまったか。。。。
私は、とても残念だった。
「あの時、機械・航空から物理工に変更していれば。。ひょっとして」

 こうして書いている今でも、あの時の後悔は忘れない。結果的に京大に合格したのだからいいじゃないかと言われそうだが、一人の人間が判断できる材料・時間・気持ちには限界がある。


「人事を尽くして天命を待つ」
できることは全部やる。勝つか負けるかは神様の決めること。状態を作りたかった。

名大の試験発表から後期まで1週間あったが、結局勉強しなかった。そして、大阪大学の後期試験となった。

3月12日(木) 数学・英語・物理・化学

その日の夜に帰ってきた。
“試験(勝負)に絶対は無い。(不合格も!)” 

かすかな希望を胸に息子に聞いた。
(私) 「おい。どうだった?」
(息子)「たぶん、駄目じゃない? 難しすぎた。それにヒルトンホテルにリュックサック姿は場違いだった。緊張した。」
(私) 「そうか。いいじゃないか。どうせタダなんだから」


 この日は、なぜか長女と2人して私の前に座っていた。切り出したのは娘だった。
(娘) 「お父さん。ツヨ君(名前をツヨシという)がね。京大目指してもう1年頑張りたいんだって」
(息子) 「そうなんだ。予備校に通っていい?」

(私)  「そうか。。。人間は失敗するからな。一回駄目だったから終わりじゃなぁ。1年だけだぞ!」
(息子) 「ありがとう。頑張るわ!」
(娘) 「お父さん ありがとう!」

なぜか、娘にまで「ありがとう」と言われてしまった。
名大に落ちた時点で、既に浪人する覚悟はできていて、いつ・どうやって親に言ったらいいか考えていたように思う。

やがて阪大発表の日。
(息子) 「やっぱ、駄目だった!」
こうして、浪人が決まった。

                                続く

プラス1
「京大の理系数学 25ヵ年」という本を見てはニコニコしている時期があった。受験生当人は大変だが、外野なので気楽である。この中で、京大らしいと思った問題を紹介する。レベルAなので正解しないと合格できないかもしれない。

2005年問4
 a3乗−b3乗=217 を満たす整数の組(a,b)を全て求めよ。


お試しあれ!