会長の”されどアメリカ” その2 交通事故(前編)

 自動車を運転すれば事故・違反はつきものである。3年間にスピード違反を含め随分と警察の世話になった。アメリカは車社会なので日本と同様に事故・交通違反に遭遇する。今回は警察だけでなく救急車のお世話になった話である。


(前編)夜中 民家に突っ込んで行った。 
 2007年4月6日 夜10時に事件は起こった。イースター(4月初)の3連休を利用して、ウエストヴァージニア州をドライブする計画だった。なぜかと言えば、ジョン・デンバーが歌ってヒットした「カントリーロード」の舞台(ブルーリッジマウンテン・シェナンドーリバー・・)をこの目で見たかった。しかしヴァージニア州の観光地巡りに時間を費やしてしまい、肝心なブルーリッジマウンテンの麓に到着したときは夕暮れだった。このままホテルに直行するか迷ったが、欲張って山のドライブを続けることにした。
 頂上というイメージは無く、残念ながら青くもなく「普通の山」だった。詩のイメージが良すぎたのでちょっとがっかりした。以前にも述べたが、異国を旅行すれば当たり外れがあるのは当たり前である。
「まぁ、いいか。来たことに意味がある」
と独り言をいいながら下山を始めた。4月というのに外は寒く、おまけにすれ違う車のない真っ暗な道だった。途中から小雪模様となったため、ヘアピンカーブが連続する下り道を慎重に運転した。時間にして30分程度走ったと思う。やっと民家が見え始め道路が真直ぐになり、ホッとした瞬間だった。カーズで車がスリップした瞬間、ハンドル操作ができなくなり路線を逸脱した。
 僅か5秒程度(いやもっと短いかな?)だったが、その瞬間は今でも鮮明に記憶している。、

「ああ、、、ぶつかるな。俺はどうなるかな? ひょっとして死ぬのかな?」
「ブロックに当たるのかな。池に落ちるのかな。。。。」

冷静であった。やがて、バリバリと音を立てて木製フェンスを壊したあと、低いクボミで“ドン”と衝撃があり、やがて止まった。
足と胸が少し痛かったが正気であった。
「ああ助かった。」
そして、この後考えたことは
“できればこの場所から去りたい。警察が来て訴訟になって。。。英語も通じないし俺一人である。”

「逃げれないか。。。。」

民家に明かりはあったが、今なら逃げるかもしれない。エンジンは止まっていたので、キーをひねった。
「ジィジィジィ。。。、動かない。ジィジィジィ。。。動かない。ダメか!!!」

仕方ないと諦めたとき、腹をくくることができた。
そして、車から降りて迷惑をかけた民家のドアを叩いた。
「I’m sorry…. My name is…. 」
民家の中には私と同年代の男性がいたが、すぐに近所の人が集まってきた。5分もしないうちに警察も来た。事故を起こすと日本と同じで免許書のチェックから始まる。言葉が話せない私に警察も苦笑いしたが、先に進まないので英語が堪能な同僚にTELし代行をお願いした。
 次に、「ケガは無いか? 救急車を呼ぼうか?」と年配の女性が質問してきた。
必要か否か自分で判断しろと言われても。。。それほど冷静ではないのだ。(夜で、しかもUSで。。)
「分からない。どうしたら良いか教えて欲しい」
と答えた。
「それは貴方の問題だ! あなたがyesかnoかを決めなさい!」と厳しい口調。
これにはびっくりした。“日本とは文化が違う”と感じた。
正直、痛くてたまらない所は無かったが、後遺症が出てくることを考えて、
「yes please」と答えた。
その瞬間から、新しいドラマが始まった。
               続く。