須賀杯駅伝

 須賀杯駅伝優勝おめでとうございます。
1964年が第1回ですので、今年が51回かと思います。これまで引き継がれていることに感謝しています。これも須賀太郎先生(1903年−1986年)が学生とスポーツをこよなく愛されていたからだと思っています。
 私が1年生の時(1968年)、1区は瀬戸方面の国道を走って猿投カントリーが中継所でした。白バイが先導していたことを覚えています。それから段々と交通事情が悪くなって脇道を使って名大の豊田講堂まで一般道を走っていました。最近は平和公園、庄内緑地、大高公園の周回に代わりました。
 私は卒業後も名古屋に住んでいたこともあり、OBチームで参加していました。アンカーは須賀先生で、豊田講堂までの間に多くの学生が「先生、お先に」とか「ファイト」と声を掛けられて抜いていかれるのがうれしかったようです。
 今も須賀先生のご家族が駅伝のことを気に掛けて寄付もされていると聞きます。大勢の学生の参加があっての大会だと思います。これからも末永く続くことを祈っています。お疲れ様でした。