会長の”次男の大学受験”                                                                第3章  出陣6

立命館大学

  何度も記載しているが、大学受験の条件は
     ・下宿(一人暮らし)したければ国立大学
     ・私立だったら通学。

と口うるさく話している。理由は簡単で、“経済的な問題” つまり私たち(夫婦)の所得では、2人大学に行かせるには上記が精一杯なのだ。昔なら奨学金を借り就職してから返済すれば良かったが、今は就職浪人も当たり前であり返済ができない。連帯保証人の私も子供の卒業時には会社定年となるので、年金からの捻出は大変厳しいものがある。
 “借金をしないで・させないで大学を卒業する”

これを念頭に考えていた。次男もそれを理解しているが、秋以降の模試で立命館大学を候補に挙げだした。 
 (私)  お前 “立命”と書いてあるけれど、そんなもんダメだぞ。
 (次男) 分かってるって。
 (私)  じゃ、何かあるのか。 
 (次男)  友達で立命を目指す奴がいて、じゃ俺も書くだけ書いてみようかなと思って。
 (私)  それなら良いけど。。。

子供の気持ちが分からなくもないが、“仕方のないこと”である。それでも次男は模試の志望校に“立命”と書き続けた。


 2012年も12月に入ったある日、東京出張先のホテルでゆっくりしていたら、ふと次男の立命のことが頭に浮かんだ。

 “立命館に行きたいのなら、行かせてやればいいじゃないか。本人の気の済むようにしてやればいいじゃないか。金の話は、その時考えたら良い。”


なぜ、こんな気持ちになったか今でも分からないが、すぐ次男に電話した。
(私)  お前さぁ。立命受けたいのか。
(次男) いやぁ、まあ。
(私)  そうか、だったらすぐに願書取り寄せろ。
(次男) 分かった。
(私)  それと、父さんは下宿代と授業料を同時には払えないので、奨学金を借りるしかない。もし、立命に行くことになったら、お前が半分返済しろ。
(次男) 分かった。

言葉では“分かった”と喜んでいたが、奨学金の返済がどれだけ大変か、分かるはずもない。高校生だから当然であるが、この時の次男の弾んだ声が印象的だった。

年が明けセンター試験が終了したある日、立命館の受験科目を調べてみた。

時間 科目 配点
10:20〜11:40 英語 100
13:10〜14:30 物理 100
15:20〜17:00 数学 100

 受験科目と配点は表の通りである。多くの私立がそうであるように、数学・理科(物理・化学の選択)・英語の3科目しかないため、国語・社会が苦手な人は私立1本で勝負する。従って国立志向には、かなり難易度が高い。因みにセンター試験の自己採点結果では、三重大のランクAに対し、立命館はD(合格可能性35%)だった。
(私)   三重大がAなのに、立命って“D”か。そんなに難しいのか。。 知らんかった。
(次男)  私立はセンターを受けない人が結構多いので、どちらが難しいかは分からんが、立命の方が、三重より上と言われている。
(私)  へぇー。それにしても 国立は授業料50万円/年だけど、私立は150万円と100万高い。別に100万円分 立派な授業してくれるとも思えんし。。。親も納得するのかな?
(次男) ・・・・
(私)   ところでお前、立命(京都北山 衣笠キャンパス) は見学したのか。
(次男)  行ってない。
(私)   ダメだろう。もし行ってみて、広島大学のように“俺の行く大学じゃない”と感じたらどうするんだ。
(次男) ・・・・じゃ、試験が終わってから国立2次の前までに見てくる。
      〜立命の試験は京都ではなく、名古屋の会場で受けることになっていた。〜
(私)   そんなこと、できる訳ないだろう! 口から出まかせ言うな。
(次男)  ・・・・(苦笑い)
      理工学部は京都じゃなくて、滋賀だけど京都まで遠いかな?
(私)   知らんわ そんなこと自分で調べろ。
・・・そうか。本当はお前も兄ちゃんと同じで京都に住みたいんだろう?
(次男)  実は、そうなんだ。京都、カッコ良いし。
(私)   そうかね?。カッコいいのは東京だぞ。
(次男)  いや、東京はちょっと。。。
(写真は立命館 工学部:琵琶湖キャンパス)


2月2日(土) 
 本人にとって、2番目に“行きたい大学”である立命の受験日となった。最近の私立大学は現地に赴かなくても地方受験ができるという、受験生(+親)には大変助かるシステムとなっており、次男の受験会場は愛知県産業労働センターである。センター試験から10日後、いよいよ2次試験の始まりである。かなり緊張の様子で出かけていった。
 〜写真は愛知県産業労働センター
 (私)  おお、どうだった。
(次男)  分からん。
 (私)  また、それだ。。。
(次男)  問題も難しかったが、必死になって解答した。やりがいのある良い問題だった。
(私)   へぇー。そうなんだ。
(次男)  皆 出来たとも出来なかったとも言ってなかった。
(私)   そういう問題か。勝つか負けるかって感じだな。(ガチンコ勝負)


2月14日(木)
 今日は結果発表の日である。次男の受験スケジュールでは立命館だけが試験・発表とも早く、この後 早稲田(16日)・名城(18日)の試験となる。 本人も私も、“占い”の気分だった。

(私)   どうだった。受かったか。
(次男)  落ちた。
(私)   落ちた! マジか。。
(次男)  落ちた。。。
   ⇒この時の喋り方が、次男の受験中で最も表情が現れていた(落胆ぶり)。残念ながら書面では伝えることができませんが。。。~

(私)   ところで仲間はどうだった。
(次男)  皆 落ちた。
(私)   そうか。。。難しいんだ、立命館は。。
(次男)  受かると思っていたのに。。

一人暮らしがしたいという次男の願望も、昨年末に“受けさせてやろう”と直感で言った私の一言も 藻屑と消えてしまった。
 “受験って、こんなものかぁ。自分達の思うようにはいかん。そりゃそうだ。みんな合格できるわけないし。。。”


 “当然 合格する”と思い込んでいた私は、現実を見せつけられてショックだった。
早稲田はもっと難しいし、名城も結構大変そうだし 三重大はAと言われているが。。。
どんどん弱気になっていく私と次男であった。

続く



プラス1 立命館大学入学式 式辞(川口 清史学長)
立命館大学は、明治2年(1869年)、戦前の日本の最後の元老であった公爵・西園寺公望が20歳の折、御所の内部、蛤御門にあった邸宅に開いた家塾「立命館」をその前身とします。「立命」とは、「天の命を全うする」こと。つまり、人間のできることはすべてやりきる、ということです。私はこの「立命館」という名前に誇りを持ってほしいと思います。青年西園寺の新しい社会建設への燃えるような思いが、この名前には込められています。・・・
 君たちは、これから始まる大学での勉学を通して、具体的に日本社会の再生に、人類の持続的発展に貢献できる道を模索してください。もちろん、その道は決して一つではありません。大いに悩み、壁にぶつかり、そして、そこから多くのことを学んでほしいと思います。
私は君たちが必ず、この期待に応えてくれると確信しています。それは、君たちが110年をこえて営々と歩んできた強靭なスピリットを持つ立命館の一員だからです。・・・
今日の学びが明日の未来を創っていくのです。
入学、おめでとう!!


⇒今回この文章を書いて知ったが、立命館の始まりは公爵:西園寺公望であったこと。西園寺といえば、日本史上 明治時代を創った1人として有名である。
 随分前に総理大臣の覚え方を紹介した。
 “いくやまいまい おやいかさかさか。”

上記 “さ”が西園寺、“か”は桂 太郎である。いわゆる“桂園時代”である。
立派な人というのは、後輩(行末)を想って教育に情熱を注ぐというのは本当である。因みに NHK大河ドラマ“八重の桜”に登場する 新島襄同志社大学を創っている。“八重”は、その奥さんになる人物。
 さて、次男は結局、立命館に一度も足を運ぶことなく受験が終了したわけだが、皮肉なことに? 私は2011年12月 趣味の1つである京都検定3級の試験として、立命館大学へ受けに行った。歩けばすぐのところに金閣寺竜安寺などがある北山の静かな場所にあった。 残念ながら、・・・3級試験は不合格となった。
 次男・私とも立命館の試験は惨敗である。