“いまどき”の大学受験(最終章)                                                                      賽(サイ)は投げられた   その9

 最終章も今回で終了となります。ただ、書き加えたいことがあるので、”あとがき”と題して2回ほど追記します。そこでお願い!
 読んだ感想を書いてください。(OB・現役問いません) 3月末までを希望します。よろしくお願いします。


その9 京都大学-3 (超えていけ、父を!)

息子は合格発表の午後、早速京都に出かけた。刈高で現役合格したK君・S君(共にバスケ部)と祝賀会&下宿探しをやるためである。そんな中、京都の生活立ち上げに向けてスタートを切るというのに、意外なことを言った。
 (息子) ところで、後期の九大受験のことだけど。。。
 (私)  何だ、京大受かったのに今更。
 (息子) だって、35,000円の受験代と、父さんにも色々調べてもらったし。。
 (私)  俺が受けろといったら、九大受けるのか?
 (息子) 一応、ケジメのつもりで受けた方がいいかなぁ。。とも思ったりして。
 (私)  いいんだ。そんなもん。そんなところに時間と金を使うくらいなら、これからの京大のために使え!
 (息子) そうだね。分かった。

 なにやら、自分の中にスッキリしないものがあったようだ。一方で、私も今回の受験を通して子供との金銭感覚の違いを幾度となく感じた。親の我々は、授業料・入学金など数十万円という金を心配する。だから受験料は、ある意味誤差なのだ。しかし、5千円・1万円といった小遣い・テキスト代を気にしている子供には、35,000円はとても大金であり、逆に数十万円は実感がわかないのだろう。まるで、我々が1億・2億と言われても想像がつかないと同じように。
「お金の話をするときは、子供目線で考えないといけない。」


3月14日(月)
今日は、入学手続きの日。妻も嬉しかったのだろう。私に代わり、息子と2人して京都に向かった。3,000人もの新入生を1日で対応するのだから混雑は必至と考え、9時開始30分前に到着した。しかし、思ったほどの混雑はなかったが、各サークルの勧誘が活発で、親切丁寧な説明に興味津々と聞いていたら時間が過ぎたらしい。きっと、京都弁・関西弁でない我々は地方出身者であり、歓迎の意味を込めてのサービスだったに違いない。

手続きの中で、息子は大学の教授に質問をした。
(息子)  これから入学までに、何をすれば良いですか。
(教授)  ゆっくり休みなさい。

この一言は“いまどき”の大学受験を全て物語っている気がした。合格を勝ち取るために、長い時間を費やしてきたことを大学側も分かっているのだろう。
「充電が必要である。」

しかし、息子は行動に出た。「地球工学科・国際コース」を希望すべく、午後からの説明会・面接試験を受けたのである。これに関しては、事前に相談があった。

(息子) 今年から「国際コース」という、卒業までの全ての授業を英語でやるコースが出来たのだけど、どうかな。
  (私)  “どうかな”、と言われても。お前やる気あるのか?
  (息子) 英語は勉強したいと思っているし、海外留学もしてみたい。
  (私)  そうか。それはいいことだな。だけど、無理することはないぞ。
       ・・・・・
  (息子) とにかく、説明会には参加してみようかな。
  (私)  そうだな。快進撃が続いているのだから、走れるだけ走ってみろ。どこかで止まるだろうが、その時考えればいい。
  (息子) 分かった。

 因みに面接試験は英語能力のチェックと本人の意思確認らしく、必要とされる語学力は最低TOEFL-iBT61点と書いてある。これは、社会人が受けるTOEICに換算すると590点となるらしい。590点くらいなら私でも何とかなるかな。。。(ナンチャッテ)
 幸いにして、面接を終えた時点で合格通知をもらった。詳しく書くと値打ちが下がるが、聞けば定員10名に対し11名の応募だった。集団面接は、国際コースを希望した理由を順番に答えさせるというもので、息子の返答は以下であった。
“父のアメリカ赴任中に2度渡米し、世界の広さ・アメリカの大きさ、そして英語の大切さを知った。グローバルに活躍したい”

それなりに説得力がある。後は英語がどれくらい通用したか。息子からは、
「大差はなく、京大も大したことないと安心した。」
と聞いた。  (写真はエンパイヤステートビル)
いずれにしても、第一回生は未知であり勇気がいることだから値打ちがある。しっかりやって欲しいと願う。


4月7日(木)
 今日は入学式である。京都の叔母から、“めったにない機会なので、夫婦で京都に来なさい”と誘いがあったが、私は都合がつかず妻が参加することになった。場所は平安神宮近くの“みやこめっせ“で、3,000人の学生・同伴する親、中には祖父母まで同席するという熱の入った家族もあったと聞いた。これは、「孫の晴れ姿を一目見たい」と願う京都在住のお年寄りらしい。我々名古屋人は、東大・京大。。。という難関大学のイメージがまず浮かぶが、京都に住んでいる人にとっては、学生の街“京都”のシンボルであり憧れなのかもしれない。なお桜の花も見ごろで、平安神宮に咲き誇る姿に列席する父兄は感無量であったことだろう。(こんなことなら、私も無理して行けばよかった。)
 そして、この日から息子の大学生活はスタートを切ったのである。

 自分で勝ち取った学生生活、信じる道を進んでほしい。自分の人生だから!


4月24日(土)
 今日は、息子が1年間世話になった駿台予備校の『第1回 保護者説明会』である。なぜか無性に覗いてみたくなって、開始1時間前にこっそりと教室を見に行った。息子が通ったスーパ京大理系クラス(SA)は今年も601教室で、配布する資料も昨年と同じスタイルである。後の黒板には、全員の“初心”の一言が掲示されている。
 「京大合格」 「絶対受かる」 「自分に負けない」・・・

“イマドキ”の大学受験がすでに始まっている。
『皆頑張れよ。 負けるなよ。緊張しろよ!
人生で、美しく純粋な涙が流せることは、それほどあるものではない。』

 想えば、保護者説明会を全て聞き、その度に受験の現状を勉強させてもらった。息子も成長したが、55歳にして私も成長させてもらった。そして、立派な息子を持ったことを誇りに思った。

1階ロビーには、“合格した先輩から”と題して写真とメッセージが貼ってあった。同じ風景である。しかし、ここには昨年と大きな違いがある。それは、
「息子の合格メッセージと写真が載っていること」

そうなんだ。確実に1年が経ったのだ。
学校はいずれ卒業する。サラリーマンにも定年が来る。
「時は流れ、人は去り行く」

そう思いながら、駿台を後にした。

              完



プラス1 合格の勝因

 これは、3月13日に父の感想として書いたものである。今読み返すと恥ずかしくなる。勢いに任せて偉そうなことを言っていたんだなと思う。

①目標が明快であり(何としても京大) 、最後までブレなかったこと。
駿台のカリキュラムを一生懸命やったこと。(内容が素晴らしい)③幸運であったこと。(三段飛び合格)
*後輩へのアドバイス
受験する大学は、リスク・データ・周りの意見を聞き、しっかりとした作戦を立てること。
(受験は、「筋書きの変わるドラマ」である)上記で私が一番感じるのは②である。正しい指導がないと成長どころか後退する。スポーツの世界では、もっと顕著である。間違った動きを身につけてしまうと、まずそれを矯正することから始めないといけない。
③の三段跳にとは、早稲田⇒慶応⇒京大と一気に合格したことであり、“俺の実力だ!”と思わないほうが良いと思って書いた。また後輩へのアドバイスと題したのは、アルバイトで家庭教師か予備校の講師をやるとなった時に、話して欲しいと思った。


プラス2 京大生からのメッセージ(入学資料より)

A君 「自分で決める大学」 
 大学には多くの自由な時間があります。その時間に勉強をするか、部活やサークルをするか、バイトをするかは本人の自由です。大学では多くの自由がある代わりに、自分のことは自分できめていかなくてはなりません。何もせずにいては、時間は過ぎていくだけ。その代わり自分から求めていけば、満足できる場は必ずあると思います。私は学校で建築を勉強しながら、体育会の部活に所属しています。しんどいこともありますが、好きなことをやっているので毎日が充実しています。僕の周りにはバイトでお金を貯めて海外へ留学した人や、弁護士になるために必死で勉強している人などいろんな人がいます。京都大学では、まずこれをしようと思うこと、そしてそれに向かって進むことで自分望む大学生活を送ることが許される、そんな大学だと思います。


Bさん 「学んだことが社会で生きる」
 化学をもっと深く学びたいと思ったこと。そして京都が好きだったこと。こんな単純な理由から選びました。・・・
 大学時代に学んだことが就職先でそのまま生かせることは、あまり多くはないと思います。工業化学科では、大学で学んだことを社会で生かせるように、高度な専門教育が行われています。将来就きたいと思っている仕事がある人もそうでない人も、いろんな『化学』に触れる中で、やりたいことがきっと見つかるはずです。社会に出て即戦力となるよう、京大で質の高い化学を学んでください。


プラス3(学生生活の始めに)
 3月13日に書いた。翌日が入学手続きだったので、頭の片隅に残ってくれればと願った。

凧凧揚がれ。。♪と言うけれど、天まで届いた凧はない。いつかは必ず落ちてくる。    (だから)

 ・風が吹いている間は、目一杯昇ること。
 ・落ちた時は、じたばたせず次のために力を蓄えること。
息子に吹いている幸運の風が何時止むか分からないが、その時まで目一杯高く・長く飛び続けて欲しい。