“いまどき”の大学受験(最終章)                                                                      賽(サイ)は投げられた   その5

その5 慶応大学は、とても優しい!

2月24日(木)
 今日は慶応の合格発表。そして、金運が試される日でもある。“いまどき”の大学受験は、昔のように合格発表掲示板に貼り出される番号を見て一喜一憂する風景はなく、パソコンや携帯から調べるやり方が主流である。しかし情報端末の知識に暗い私は、やり方も良く分からないし、息子も受験番号を教えてくれなかった。いい加減な親子である。昔風に郵便物を待つことにした。
同志社・南山と受かったのだから、きっと慶応も合格通知が来るさ。」

大きな期待を胸に、家に帰って妻に聞くと、
「届いていない!」
  ・・・
「えっ。。。本当?」
一瞬、絶句した。

「ウソだろ。。」
「そんな筈はない。」
・・・・
「これが現実だな。」
「いい夢、見させてもらった。」
「まぁ、同志社受かったから良いか。」
  ・・・・
「息子は受かる訳ないと言ったけど、本当だなぁ。」
  ・・・・
そして神様に祈った。
「体は1つしかない。京大が受かればいいのだ。だけど受かるのかな。。。」

こうやって、自分に言い聞かせるように落ち着きを取り戻した。これに比べ我が家族は、いつものようにテレビを見ていた。慶応、ひいては大学受験への関心が強いのは私だけだ。
「明日は昼休みに銀行に行き、慶応ではなく同志社の入学金280,000円を支払わないといけない。」

残念な気持ちで一杯だった。会社を休む予定でいたが、実際のその場面になると気が抜けてしまった。


2月25日(金)
 今日は京大(国公立 前期日程)試験の日。息子は、どういう気持ちでいるのだろうか。

昨日の慶応不合格の残念さを引きずっていたが、今日中に金を納めないと入学辞退となってしまう。振込み書を大事にもって会社に出かけた。すると、10時過ぎに自宅にいた娘から電話があった。
 (娘)  「慶応から合格通知が届いた!」
(私)  「えっ、マジで?」
  昨日に続き絶句した。
   ・・・・
 (娘)  「すごいね。」
 (私)  「すごいなぁ、あいつは。 慶応ボーイだぜ」
 (娘)  「ねぇー」

これで、同志社への入学金を払わずに済んだ。金運もあるようだ。しかし、裏を返すと
“京都に行くには京大に合格しないといけない。”
となる。
・・・・
“いいじゃないか、慶応なんだから!”

 息子は、このドタバタ劇を知る由もなく、ひたすら京大の入試問題と格闘していることだろう。それにしても、娘がたまたま家に居たから良いが、一歩間違えれば28万円もの大金をドブに捨てるところであった。
思わぬ朗報を聞いてから、仕事をしていても気分はハイであった。“アイツが慶応ボーイねぇ。。” 現実に起ってしまったのである。(写真は慶応ラガーマン)

格通知書を見たくて早く帰宅した。慶応大学の合格通知書には、
おめでとうございます。あなたは。、。。」

と書いてある。受験生・そして親の心理を本当に掴んでいる。核心の褒め言葉だ。
いろんなものがこの一言で報われた気がした。そして、なぜか昔登った山を思い出した。場所は北アルプス南岳で、登山家なら誰でも知っている大キレットの中間に位置する。そこの看板に書いてあったのが、
「。。。よく頑張った。あんたは偉い!」

 大キレット穂高槍ヶ岳縦走の難所であり、一説によれば死亡率1%(1,000人行って10人死ぬ)と言われている。私も緊張の連続の末に辿りついたが、そこで見た看板の一言は、私には最高の褒め言葉であった。

さて、「おめでとうございます。」という、気の利く一言を誰が考えたのだろう。京大も含めた合格通知書の中で、「おめでとうございます」と書いてあったのは慶応大学だけだった。
「慶応は、とても優しい!」

そんな印象を受けた。

この日の夕食では、家族が胸の内を明かした。。
(妻)  自慢の息子だ。婦人会で話したい。
(長女) 「うちの弟さぁ、慶応受かったんだよ」と友達に自慢する。
(私)  「浪人して慶応に合格した。良く頑張ったんだわ息子は、と胸が晴れるなぁ。」

ただ次男は、ちょっと違っていた。
 (次男) “俺の兄ちゃん慶応”と言ったら、“お前は違うんだろ”と言われるので、俺は黙っている。
 これには、苦笑いである。
 (私)  もし京大落ちても、後期の九大は辞めだな。なんたって慶応は全国区だ。学費は大変だが、何とかする。
 (妻)  あんた、そんな無責任なこと言って良いの。
 (私)  いいんだ。
  ・・・・・
 幸せな夕食であった。


                  続く


プラス1 慶応合格に寄せて
 前述したように、早慶合格は褒美として5万円をプレゼントするといったが、これで確定した。私にとっては、5万円で一生?
「うちの息子、慶応受かってさぁ」
と言えるのだから安いもの。と,その時は思った。いつものように、息子の部屋に写真の紙(賞状?)を貼り付けた。息子は、「父さん、また変なもの貼り付けて。。」と最初は思ったらしいが、この紙を眺めていると、だんだん浪人の苦労が報われた気分になったと後述している。


プラス2 清家塾長メッセージ(抜粋)
慶應義塾の創立は、日本の近代化前夜に当たる安政5(1858)年、江戸築地鉄砲州にあった中津奥平藩中屋敷において、福澤諭吉蘭学教授を始めたことに遡ります。幕末から明治維新を経て近代へと移り変わる大変化の時代を生きた福澤が、なにより頼りにしたのが学問でした。
 福澤にとって、この学問とは「実学のことでした。それは単に日常で役立つ学問ということではなく、実証的な科学(サイエンス)を意味します。学問によって事物の真の姿を理解し、その理解にもとづき自ら判断し、問題を解決することの重要性を述べているのです。
 現代を生きる私たちもまた、大きな変化の渦の中にあります。・・・ これまで支配的であった考え方、あるいは制度・慣行などで、ことにあたるのは難しくなります。
そこで求められるのは、実学の精神に立ちかえり、自分の頭で考える力です。自ら問題を見つけ、仮設を作り、検証し、結論に導き、それに基づいて問題を解決していくことが大切です。


プラス3 理工学部の学科と定員

分類 定員 学科名
学問1 125 物理学科(20%) 物理情報工学科(50%) 電子工学科(20%) 機械工学科(10%)
学問2 110 数理科学科 管理工学科 情報工学
学問3 130 化学科 応用化学科 生命情報学科 物理情報工学
学問4 160 機械工学科(50%) システムデザイン工学科 管理工学科 応用化学科
学問5 125 情報工学 電子工学科 システムデザイン工学科
650 (11学科)

 上表が理工学部の学科と定員である。入学試験は学問1〜5を選択して合否が決定される。入学後、1年次では学問別に基礎科目を履修して希望学科をじっくり検討後、2年次から学科別の専門科目がスタートする。この表から分かることは、物理学科は学問1しかなく全体(125名)の20%、25名が定員である。しかし、機械工学科は学問1と学問4の2つから集まってくる。学科は合計11学科で、その多くは名前から判断できるが、“管理工学科”は異質である。解説によれば


“管理工学とは、理工学の基礎知識に加えて、たとえば、データ収集と調査、統計解析、情報処理、システム解析、インダストリアル・エンジニアリング(IE)、人間工学、経営管理オペレーションズ・リサーチ(OR)などの名に代表される諸技術を統合し、システムの設計・運用・評価、あるいは企画・立案・予測などの広い意味でのプランニングとそのコントロール、さらには、新たなる管理技法の開発をめざす技術体系です。”

 昭和34(1959)年に設立されたというから歴史がある。私の会社にも数名卒業生がいるが、ユニークな学科である。

ところで、息子のように国立大学との併願をするため、見かけの倍率は前回のデータから11.9倍(4,098名に対し48602名出願)と高いが、2010年のデータでは、実質倍率は3.04倍である。

大学名 偏差値
慶應 64
早稲田 62
名大 58
京大 63
東工大 63
東大 68

また偏差値は64となっており、数値の上では早稲田より難しいことになる。なお国立大学と比較しても同等であり、ここに早慶が私学の雄といわれる理由がある。最も高いのは学問3の65であり、これは“生命“という医学に関する分野が要因である(医者って、そんなに魅力あるのかなぁ。。。)。因みに息子が合格したのは学問4である。参考までに、全体の78%が大学院(修士)に進学し、修士の10%は博士課程に進学している。すなわち学部卒は少数派となる。私のような年配サラリーマンから見ると、会社で頑張った方が有益(金をもらって勉強(仕事)できる!)と思うのだが、これも世の中の流れだから仕方あるまい。
本シリーズ“いまどき”を連載するに当たり、いろいろ調査した訳であるが、その結果として30年前の私のモノサシ(慶應より早稲田の方が難しい)が崩れた。勉強させてもらった。