会長の独り言(昔話その2 須賀杯駅伝)

今回も昔話をだらだらと書きました。「冬は体つくりというか、どうしても長距離練習になりがちですが、それぞれ楽しみをもってやってほしい」というのが、話の主旨かな?

 11月1日の日曜日、全日本大学駅伝熱田神宮伊勢神宮で行われた。これから各地でマラソン大会、そして正月恒例の「箱根駅伝」と続いていく。陸上競技に携わった我々には、走者や関係者の気持ちもわかり、テレビを通して勝敗の行方とともに、人間ドラマを見ることができる。
 さて駅伝に関して、私が現役の頃は「須賀杯駅伝」というのがあった。(12月第一日曜日)、これは、初代の豊田高専学長である須賀太郎さんの名前を取って始めたもので、豊田高専名古屋大学までを6人で走るものだった。参加資格は、高専、名大の学生なら誰でもOKで、名大長距離ランナーチームから有志で募ったチームまで、100チームを超える参加があった。当時は交通量も今ほど多くなく、また管理面(もし何かあったら、どうするんだ)もいい加減だった。中継所は、田んぼの横にある広場だったり、ちょっとした駐車場だったりした。コース管理も今から思えばいい加減というか、のどかなもので、事前に書面配布されるだけで、あとは当日の自己判断だった。一応、要所に関係者が立ってはいるものの、よく間違えたりした。ルールから言えば、元の場所まで戻ってから正規のコースを走ることになるのだが、そこは須賀杯駅伝のいいところで、「臨機応変」に対処していた。そういえば、思いっきりコースを間違えて修復できず「途中棄権」するチームも毎年のようにあった。今なら携帯電話があるので、ミスは最小限に済むが、、、
 この「須賀杯駅伝」を私も5年間参加したが、走ったのは全て最終6区だった。1年生の時、たまたま6区を走ったのがきっかけで、以降、自ら進んで6区志願した。理由を明かすと下記である。
① ゴールが名古屋大学の豊田講堂で、ここの眺めが素晴らしい。
② ゴールテープを名大の女性が持っていてくれるので、歓迎されている気分になる。(女性が、とても知的だった。少なくとも当時の私にはそう見えた。)
③ 終了するとOBが食事に連れて行ってくれた。これが楽しみだった。
・ 今もあるかは?が、高専がベストメンバーを組み、名大長距離チームを抑えて優勝した時の写真が図書館にあった。その中には、陸上部OB初代キャプテンの杉浦さん(E1)と、2代目の大宮さん(M2)がいる。
 そんなこんなの駅伝であったが、私の中では、「冬が来たな」と実感する日であった。この後、元旦走り染め、校内マラソン大会(1月中旬)、クラブ対抗駅伝(2月中旬)と長距離大会が続き、練習の中身は「体作り」にシフトしていった。

12月第一日曜日はスポーツのビッグイベントとして、「福岡国際マラソン」、そしてラグビー伝統の一戦である「早明戦」がある。しかし、私の中には、名大ゴール目指して走った、あの「須賀杯駅伝」の思い出が甦る日曜日でもある