全日本大学駅伝

6回生の今泉です。

 今日(11月1日)は全日本大学駅伝で第1中継所の審判員をしました。今回で41回になります。第1回は1970年(昭和45年)の3月1日でした。初代校長の須賀太郎先生が当時東海学連の前会長で大会の誘致には尽力されたと聞いています。学校からもスクールバスを提供したり、陸上部には補助員の要請もありました。しかし前年の秋に学園紛争があり、校舎がバリケード封鎖されるなどして数週間休講になりました。その影響で定期試験が3月にずれ込み、成績不良の私(当時2年生)は寮に試験勉強優先で残りました。主将だった柳先輩ら数名が行かれました。
 第3回では愛教大が初出場し、小栗先生の車で伊勢まで応援に行きました。元教官の市川真澄先生は愛教大のエースで最長区間(23k)を走っていました。
 知多では県高校駅伝もありました。3年生まででチームが組めることが私にはうらやましく思います。
 これから全日本大学駅伝の東海学連選抜で走る選手が出てくることを期待しています。
 10月には瑞穂で東海学生秋季と東海高校新人がありました。東海学生では岐阜高専の選手が三段跳びで入賞しました。東海高校では鈴鹿と岐阜からは数名が出ていました。
 今後のますますの精進と活躍を応援しています。