会長の ”中欧を訪ねて”(海外旅行の勧め) 6

オーストリア 中編

 ここが、ハプスブルク家の夏離宮シェーンブルン宮殿。フランスのヴェルサイユ宮殿(ルイ14世)、ドイツのサンスーシ宮殿(フリードリヒ2世)と肩を並べるヨーロッパの3宮殿である。建物が黄色で統一され、広大な庭とのコントラストが素晴らしい。モーツァルトが6歳の時、ここで演奏したことが有名だが、私には、ナポレオン戦争の後始末のためウィーン会議を開いた場所としての印象が強い。
 「会議は踊る、されど進まず。」
各国の利害関係が絡み合って、結論がでないことを皮肉った言葉まで生んだ。

 写真が、会議が行われた大ギャラリーである。オーストリア宰相(総理大臣)メッテルニヒが議長になったのだが、彼はこの時41歳。私より15歳も若い一人の天才政治家によって、ヨーロッパの秩序が決定された訳だ(1814年)。

 その偉大な舞台に立ったとき、
“ここが、ウィーン会議の場所か。。。今から200年前、ここが世界史の舞台だったんだ。”
感動と興奮を味わった。
来て良かったと心から思った。


因みに、この会議でスイスは永世中立国となった。
今でこそ観光の国だが、当時は大半を山に囲まれて農業や産業が育たない貧しい国だった。国を支えていたのは、「血の輸出」と呼ばれる傭兵派遣である。(人を出して国を守る)
〜写真は世界の名峰マッターホルン。今やスイスは観光力で世界No.1と言われている。〜


 写真の銅像は女帝マリア・テレジアである。彼女は珍しく恋愛結婚し、20年で16人の子供を産んだ。日本の天皇家と同様、世継ぎを絶やさないこと,そして婚姻関係で国を安定・発展させるためである。ただし、政務の傍ら子供達へ愛情を注ぎ、貴族子 女の教育にも力をいれた彼女は、国民から“スパーレディ”と尊敬された。
日本でいうなら“肝っ玉カアチャン”。
 〜集合写真は教科書でよく登場するマリアテレジア(右側)と家族〜




 これが、ウィーンの定番料理ポークシュニツェルとライス。早い話トンカツだが、日本人の味覚にマッチしている。しかし、ライスは柔らかすぎて食感がまるで違う。御飯と思って食べたのがダメだったかも知れない。
せっかく旅行をするのだから、地元料理を食するのが基本であるが、結果から言って3回に2回は口に合わなかった。

続く



プラス1 エリザベート
 ハプスブルク家として名を残した一人に、フランツ・ヨーゼフの皇妃エリザベート(1837〜98)がいる。彼女が後世に残したものは、
『美貌』

エリザベートの「美」の理想は、自然で健康的な体・肌・髪であり、身長172㌢・ウエスト50㌢・体重50㌔を維持するために運動とダイエットなど毎日欠かさず実行した。美しい彼女を一目みようと外交官や市民までが押し寄せたらしい。残念ながらレマン湖への旅行中に殺害されたが、その悲しい最期が彼女をさらに美化している。

ウィーン王宮には彼女の愛用小物などが展示され、今回の旅行で彼女の偉大さを知った。ヨーロッパには彼女を題材にした映画も多く、宝塚でも「エリザベート」として上演されている。