会長の ”東北震災地を訪ねて(後編)”   原発を行く 3

久ノ浜 1

写真は、いわき市の北端 久ノ浜にある“浜風仮設商店街”の情報館。ここには4枚の色紙が飾ってある。左から谷垣禎一自民党 総裁)、小渕優子(財務副大臣)、玄葉光一郎外務大臣)、そして柏原竜二東洋大学)である。柏原君は2012年2月10日となっている。4回目の箱根駅伝も終わり、故郷 いわき市に帰ってきたのだろうか。3名の大物政治家と並んで飾ってあるのは、福島に元気と勇気を与えた証だろうか。



さて塩屋崎灯台を過ぎて1時間近くドライブしたが、砂浜沿いに続く海岸通りは快適だった。震災以前は静かな毎日だったに違いない。Oさんからは、久ノ浜に行くなら仮設商店街に市職員がいるので訪ねてくださいとのことだったが、それらしき建物が見当らない。岩手訪問時の“全て流された荒地”を想像していたが、探し当てたものは民家に囲まれた何処にでもありそうなプレハブ店舗だった。さっそく職員のSさんに状況を聞いてみた。
(私)   復興は進んでいますか。
(Sさん) 震災直後に原発避難区域となったこともあって、住民の半分近くがいなくなってしまった。今は解除されて住めるようになったが、遅れています。
(私)   そうでしたか。
(Sさん) 福島は原発対応がメインなので、久ノ浜のような小さな町まで復興予算が回ってきません。だから住民有志とボランティアで頑張らざるをえないのです。
(私)   そりゃ大変だ。
(Sさん) ここに飾ってある写真は、当時を忘れないように見てもらおうと飾っています。  
(写真がSさんとのツーショット。後にあるのが津波直後の久ノ浜風景)



(私) 被害が酷いのは、どのあたりですか。
(Sさん) メイン道路(国道6号線)より海岸側は津波で流されて、何も無くなってしまいました。陸地側は被害が少なかった。本当に境目というのは、このことです。
(私)   亡くなった方も。。
(Sさん) もちろんいます。実は私も危なかった。地震の被害を確認しようとした海岸方面に出かけた矢先に、津波がくるという情報を知り慌てて逃げました。間一髪でした。
(私)   そういう人って、結構いるみたいです。
(Sさん) 幸いだったのは、保育園長の判断で園児をすぐ帰宅させたことです。状況が分かるまで待機させていたら、かなり危なかったと思います。お蔭で園児は全員無事でした。
(私) そりゃ、良かった。

〜予期せぬ危険に対し、右に行くか左か・待機か逃げるか。。は、“運命”なのかも知れないと、聞いていて感じた。〜



(Sさん) 最近は訪問客も増えて来ました。当初は、人の不幸を見学することに躊躇していたようですし、私たちも。。。今は、こうして語ることが大切と思っています。
(私) なるほど。
(Sさん) NHK“八重の桜”ロケの合間に、吉川晃司さんと中村獅童さんがラーメン屋さんに来ました。この話が話題となり、多くの人が訪れるようになりました。
「2人が食べたラーメン屋さん何処ですか?」と聞きにきます。
(写真がラーメン屋)
(私) へぇー。。明るい話題ですね。NHKも貢献しているんだ。
   ・・・・
(Sさん) せっかく来たのですから、是非海岸方面に行って被害の実態を見てください。
(私)  分かりました。


 この後、情報館にある写真(被害状況・柏原君の訪問)を眺めたあと、被害が酷いという海岸方面に向かった。

続く