会長の ”東北震災地を訪ねて(後編)”   原発を行く 2

塩屋崎灯台

 いわき市の観光名物の1つに塩屋崎灯台(しおやざき)がある。周辺は磐城海岸県立自然公園であり、白亜の美しい外観から「日本の灯台50選」にも選ばれている。1899年(明治32年)に建てられ、長い間 海の安全を守り続けてきたが、地震の影響が大きく8か月程消灯となった。
実は、この灯台には想い出深いものがある。


いわき市街を抜けて海岸線を北上すること30分、お目当ての1つ塩屋崎灯台が見えてきた。この灯台原発被災状況を見るためでなく、想い出に残る場所にもう一度来たかったからだ。
私が5年生の時、全国大会が福島高専近くの“いわき陸上競技場”で行われた。以前にも書いたが、当時の目標は地区大会に優勝することであり、私にとっての全国大会は、“おまけ”&“ご褒美”&“旅行”だった。幸い当時の陸上部は、私が3年の時から地区大会3連覇を達成し、全国大会は3年時が兵庫県明石市、4年が新潟市、そして5年が東北の福島県いわき市であり、全てマイルリレーメンバーとして行くことができた。(5年時はキャプテン&補欠だったが)
因みに当時の地区大会後の練習と言えば、7月中は休みで8月から週2回程度の通学練習(通練)だった。しかし、私はこれを逆にした。1~3年生は西三大会(7月末)を目指し毎日練習。これが終われば後は休み。バイトでも旅行でも好きにやれと言った。全国大会出場者は3日間だけ休み、その後は毎日練習。
 ~やる時はやる。あとは自由にやる。⇒期限付き全力投球~


 不思議なもので、全国大会出場者も文句こそ言ったが皆ついてきてくれた。ちょっと意外だった。人間(若者)は期限があると、やる気を出すものだと思った。
当時、全国大会の具体的な目標など無く
“全力を尽くそう!”


 これは、私も指導教官の小栗先生(コーチのオヤジ)も同じ気持ちだったが、終わってみると“総合3位”という誰もが予想しなかった結果となった。具体的には、100m 安藤秀幸君(M13)がいきなり優勝し周りをビックリさせた。100mは目立つ。新たなヒーロー誕生である(この時3年生)。他にも中根浩君(A11)のハードル2位、村沢君(A13)。。。。

この日を境に、全高専から“豊田マーク”と言われるようになった。ちょっと言うなら、箱根駅伝における“山の神”柏原竜二君のようなもの。1年生で8人を抜き去り東洋大を往路優勝に導いた。あの日・あの一瞬から東洋大学が関係者・一般視聴者の注目となり、実際に強くなって行った。(そういえば、彼も福島県いわき市出身。)


さて試合が終わった帰りの新幹線で、小栗先生が目を輝かせながら
“おい、長坂。来年 豊田高専は全国大会で優勝できるぞ。だって安藤は4年生だし、優勝した鶴岡高専も2位の佐世保も、、、主力の5年生が。。。”
こんな話をする先生を見るのは初めてだった。嬉しかったに違いない。36年経った今でも、この車中のことは覚えている。
我々は、当時
“無欲の3位”と言った。


折しも、昨年の全国高専大会が36年前と同じ福島県で開催された。豊田高専は総合4位である。不思議な縁かもしれない。これは、きっと幸運の証!
(写真は2013全国大会における1コマ HPより)


話を塩屋崎灯台に戻す。記憶が曖昧だが、試合前日に皆(先生も)でバスを乗り継いで灯台に行った。“とても素晴らしい”という記憶がある。(大きかったのか、海岸線が美しかたのか??)。そんな想いから再び訪れた訳だが、残念なことに被害が大きく修理中だった。ちょっとがっかりしたが、この場所に来れたことに感謝した。
(写真は灯台入口 看板に修理中と書かれてあった)


そして、次の目的地“久ノ浜”を目指した。


                       続く