会長の”次男の大学受験”                                                                第2章  潮時 2

変化 その2

 高校1年時は、勉強を頑張るわけでもなく“ただ河合塾に行くだけ”の1年間だった。そして、2年生になって間もない ある日の夕食で変なことを言った。
 (次男)  俺 琉球大学に行くわ。
 (私)   何で、また?
 (次男)  一人暮らしがしたいんだ。
 (我妻)  一人暮らしだったら別に沖縄じゃなくてもいいでしょ。
 (次男)  いや、沖縄がいい。 俺は暑いところが好きなんだ。
 (私)   お前なぁ。


 次男の話は、いつも唐突である。もちろん彼なりの根拠はあった。
  “下宿したいなら国公立、私立なら家から通学できるところ”

私が受験方針と言い続けているからだ。しかし方針とは名ばかりで、我家において下宿&私立では家計が成り立たず、教育ローンを借りなければならい。最近は就職難だから、子供にローン返済ができない可能性もあるし、返済開始時期には私が定年になる。

続けて次男が、
 (次男)  俺は建築家になりたい。
 (私)   はっ?
 (次男)  だって、カッコよさそうだし
       ・・・・・
まるで、どこかのCM(三井住友VISAカード)のような話である。
 (私)   本当にそれでいいのか。
 (次男)  うん 良いよ。
 (私)   お前なぁ。。。


不可解というか理解に苦しむ内容であった。機械や電気なら納得もできるが、どう考えてもセンスがあるとは思えない。“まさか”の建築発言である。

 一人暮らしについては、よくよく聞いてみると、長男の京都下宿生活が気にいったらしい。これ以降、次男の大学選定の考えは固まったようだ。


目標(憧れ):一人暮らしがしたい。
手段:国公立大学(寒いところは嫌いだが、最悪どこでもOK)

 ここは長男(下記)と大きく違った。
目標(憧れ):京都に住みたい
手段:京都大学


 兄弟で目標は異なっていたが、実に単純明快であり最後までブレなかった。
続く



プラス1  琉球大学の概況

学部名 人数 工学部の学科名 人数
法文学部 405 機械システム 110
観光産業科学部 140 土木・建築 90
教育学部 190 電気・電子 90
理学部 200 情報 60
医学部 167 350
工学部 350
農学部 130
1,582

表が2013年の募集人員である。法文学部は文系学科を網羅している。ほぼ全学部あり総合大学であるが、観光産業科学部があるのは、まさしく観光が沖縄の貴重な収入源に由来するからだろう。沖縄県をリードする人材を育てるというスタンスの現れである。因みに、工学部は豊田高専と同じ5学科となっている。


大城 肇 学長の挨拶(抜粋)
 同じことをただ繰り返すだけで物事が進歩すると期待するのは、愚かで無謀なことである」というアインシュタインの言葉を引用し、勇気をもって琉球大学を清新な大学に変え、琉大の顔が見え、地域にとって身近な存在となる大学づくりに邁進いたします。また、本学の開学式典と学長就任式は、開学した1950年の翌年1951年2月12日に行われました。この日は、第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンの誕生日でしたが、その日にちなみ、リンカーンを引き合いにダグラス・マッカーサー元帥から本学に贈られお祝いのメッセージの中に、「この大学の将来はその資源の大きさに依存するものではなく、その資源の質とそれを使用する際の叡智に依存する」という件があります。資源は小さくとも、その質を高め、アジア・太平洋地域に光り輝く大学となることを目指して、一緒に創り上げていきましょう!!