総合初優勝の頃

 城田君から提案がありましたので、今回は「陸上部小史4」は来週に回して「高専大会」をテーマに書きます。

 私は1968年(第6回)から1972年(第10回)の東海大会に出場しました。
 
 1968年(1年生)
 静岡の草薙競技場でした。沼津と鈴鹿の2強で表彰台はいつも2校が独占していた記憶が強く残っています。全国大会でも強くて「東海を制する者は全国を制する」時代でした。

 1969年(2年生)
  鈴鹿電通学園陸上競技場でした。鳥羽商船が高専になり5校になりました。
  初めて最下位から脱出でき総合3位になりました。

 1970年(3年生)
 岐阜の長良の競技場でした。初めて総合優勝しました。帰りのバスの中は祝勝ムードでしたが、私は全国行きを逃し窓側の席で泣いていました。あの悔しさがなければ強くなれなかったと思います。

 1971年(4年生)
 伊勢の県営競技場でした。
 3月にキャプテンと主力選手だった同級生が大学進学のため4年と3年終了で退学しました。卒業生も中長距離の柳、短距離の中根・行武、投てきの成田先輩と前年に活躍した選手が抜けてしまいました。
 残った足立(C1)が100、400、400R、1600R
    長田(C1)が走り高、砲丸、400R
    今泉(M6)が800、1500、1600R
    鈴木(C2)が走り高、円盤、400R、1600R
  にエントリーして4人で60点以上得点して何とか2連勝できました。

 1972年(5年生)
 豊田が主管で長久手の青少年公園(現在万博記念公園陸上競技場でした。
 前年と同じメンバーで3連勝できました。
 地区大会では優勝できましたが、前年もそうですが、全国大会では1つも入賞することができませんでした。東海地区が全国では弱かった時代でした。

 私は5年の時、全国で表彰台とメダルが目標でした。全国大会の帰り「もう1年あったら」という悔しさでいっぱいでした。卒業後は後輩を応援することで私も一緒に戦っている気持ちになれます。