会長の”勤続30年を振返って”                                                     その2:幸せだったと思うこと。

振返って幸せだったと思うことは、  
  いい人に巡り会えたこと。

 サラリーマンは個人経営者とは違い組織の一員として働くので、「自分がやりたいこと」よりも、「会社として必要なこと」が仕事になる。結局、

仕事を通して“いい人”に出会うことが、実はサラリーマンの幸せかもしれない。


 思い出すのは
(入社して最初の上司Mさん。)
私の性格を十分察知して、思うように仕事をさせてくれた。お陰で会社に行くのが楽しかった。会社に対する第一印象が良かったことも、辞めずに働けた理由の1つかもしれない。
「最初が肝心」である。


(営業に配属になった時の上司Oさん。)
自分にも他人にも平等に厳しかった。そして正しかった。いつもいつも怒られていたが、大きく成長させてくれた。Oさんなくして今の私は無いと思う。
(ただ、もう一度部下にはなりたくないが。。。)


(得意先のTさん(15歳くらい年下))
 見積もり書をもって価格交渉に行くと、“説明している内容と見積もりが違う!”とロジカルに反論された。私は、「口から出任せの営業マン」だったので、ただただ、“そこを何とか。。。”のお願いばかりしていた。

世の中には凄い人間・とても敵わない人間がいる。

この事実を教えてくれたTさんだった。


豊臣秀吉は次の言葉を残している。
 「この世に生まれて真に嬉しきは、良き人に出会えたことである。」


プラス1 もし。。
もう一度大学生に戻れたら。

①英語と第2外国語の勉強は、大学受験予備校に通って高校生と席を並べてやる。
⇒大学生は勉強しない。もう英語を見るのも嫌だという学生が大勢いる。加えて先生も真剣に教えない。学ぶ方も教える方も“やる気”がないのならば、なぜやるんだと疑問に思うが。。。
そこで、最も勉強に熱い受験生と講師の中で勉強してみたい。受験生は合格するために勉強するが、私は自在に使え・継続できるように勉強する。
さしずめ、目標値はセンター試験正解率80%を持続させること。

②長期休みは東京でバイトをする。(テレビ業界かファッション業界)
 いわゆる社会勉強である。“世の中の大きさ”と“自分の小ささ”を知るには東京が良い。それも、テレビ業界とかファッションとか。。バイトなので雑用仕事で良い。普段絶対にみることのできない社会に触れてみたい。

一橋大学の大学院に進学しMBAを取る。
 研究者肌なら未知への挑戦であるが、私は生粋の技術者ではないかも知れない。
 企業は性能の良いものを早く・安く・不良を出さずに作り続けることが使命である。このようなニーズに答えるコースの1つがビジネススクールである。一橋大学は何度か見学したことがあるが、歴史のあるいい大学だ。ここで経営学を勉強してみたい。
 因みにアメリカのNo.1エリートとは、MITを卒業してハーバードビジネススクールMBAを取得することらしい。


*今思えば大学時代が最も輝いていた。既述したように勉強ばかりしていた。やりたいこと・興味のあることを片っ端からやった。1日の半分は勉強した。大学で私より勉強している奴はいないと自負していた。
ただ、今考えると賢い方法ではなかった。目標と将来ビジョンの無い自己満足だった。
                                        続く