会長の独り言 (ジョギング

長坂です。
今日は体育の日なので、私が続けているジョギングの話をします。
この文章は、会社でのメッセージ原稿として書いたものです。

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走り始めて40年になる。

好きだと言ってしまえばそれまでだが、飽きずにここまで続けられたのは,以下の2つではないかと思う。
  ①走ることのできる環境が身近にあった。
  ②その年代に考えていたこと(目的とか目標)が自分に合っていた。

①については、昼休みの前半30分を使って体育館を利用させてもらう。シャワーがあり汗を流すこともできる。有難いことである。
②について  若かったころは「大会を目指そう」。「何分以内で走ろう」という具体的な目標を持って自分を鍛えたし、目標が達成したり、完走したことに喜びを感じた。結婚して子供が小さい頃は、「親子マラソン」や「学校行事の運動会」などで、「カッコ良い父親」になりたいと思っていた。
 そして、50歳を過ぎた今、健康とか適度な運動という「はやり」の言葉を意識している。気をつけていることは、「無理をしない」である。走りたくない時や、少しでも体に異常を感じたら、すぐ中断することにしている。

以下、40年のジョギングを通して得られた思い出を紹介したい。

プロの凄さに驚いた(青梅マラソン 瀬古選手)
 ・古い話であるが、今から30年前に青梅マラソン(30キロ)に出場した。学生時代に陸上競技(短距離ではあるが)をやっていたこともあり、「完走」を目標に出場した。長い距離の練習としては、会社→自宅とか工場出張の帰りには走って戻った。そして当日はベストな体調で望んだ。走り始めて10キロくらいで「先頭が来たから道を空けてください」と言う。やがて、瀬古利彦(当時のオリンピック選手)が、まるで機関車のように走り抜けて行った。15キロ折り返しコースだから、私が10キロ走った時点で、彼は20キロ走ったことになる。 これは衝撃だった。プロは凄いと思った。結果、目標である「完走」は果たせた。順位は15,000人中9,000番くらいだったと思う。

中国人に感謝(アメリカ赴任時 レストラン「アジアンパフェ」)
 ・'05〜3年間 デトロイトに単身赴任していた。ここでも日本と同じスタイルでジョギングを続けられることができたが、その原動力がチャイニーズレストラン「アジアンパフェ」だ。オフィスに食堂は無いので昼食は外食になる。ここはバイキングで、「寿司」もあれば野菜もスープもあり、そしてソフトクリームまである。おまけに価格も$7と安い。毎日行くから常連?になり色々サービスしてもらった。日本から家族が来ると連れて行った。帰任の報告をした最後の日に店長が、「Thank you Boss, See you again!]といつもの挨拶をした後、泣いていた。これには驚いた。思わず熱くなった。

子供とのマラソン対決(町民マラソン
 ・昨年12月 東浦町民マラソンに中学生の子供と参加した。お互いに「お前に(お父さん)負けたら終わりだ」と牽制しあって望んだ。子供達の部は私の3分後にスタートする。案の定? 子供に「頑張って!」と声を掛けられ抜かれてしまった。負けた悔しさと、子供が成長したうれしさ、そして「老いて」いくことの寂しさを感じた瞬間だった。
 ・実は、この大会を目指して練習に取り組もうと決心した。練習方法は知っているつもりだった。しかし、これがいけなかった。若いころと同じメニューを組んだため肉離れを起してしまった。「無理をしない」と決めたのに。。。
 一方で新たな発見もあった。肉離れ治療で行った接骨院の先生から、「長坂君はまだ若い」と言われたのである。
「若い!!」 もう死語だと思っていた。

そうだ、俺はまだ若いんだ!。よーし、来年の町民マラソンは練習して子供に勝って。。。
いや、やめておこう。無理はいけない。自分のペースが大事だ。。。

などなど、未だ煩悩が断てぬ今日この頃である。